泥臭いWEBの底から~WEBディレクター覚書~

WEBディレクターというのは何を考えておるのか。その一例。

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ケータイサイトの運用をするようになってから、まだ一年くらいしか経っていない。というわけで、それ以前に業界でどういう流れがあってどんなトレンドやら変遷があったのか、実はあまり知らない。プライベートで使ってるのは最初からずっとwillcom(最初はDDIポケットだったが)だったし。

というわけで「何を今さら」な感があるのかもしれないし、裏づけもない話を。あとまあ、ちょっと考えれば誰でも思い至りそうな話ではある。

さて、ケータイサイトは非常にクチコミが起きにくい。いや、PCサイトのようなクチコミは、と言った方がいいだろう。

PCサイトにおけるクチコミとは、とあるサイトを誰かが日記なりブログなりTwitterなりで取り上げて、それが拡散していくことが多い。実際に対面の会話の場での、昔からあるクチコミというのはそれほど多くない気がする。対面でのクチコミ(便宜上に1対1のクチコミと呼ぶ。情報発信者対不特定多数ではないという程度に捕らえて欲しい)をしようにもそういう会話をしている場面というのは大多数が「PCの画面の前」以外の状況だろうから、何かオススメしたいサイトがあっても現物を見せることは難しい。口頭で説明してサイト名なりを伝えて「検索してみてよ」という感じだろう。まあ、そもそも日常の雑談でサイトを勧めるなり紹介するなりするという状況がどれだけあるか怪しいが。
その代わり、ブログなりなんなりで非対面の、1対多によるクチコミは対面のものより発生しやすい。で、こちらの方が拡散力は強い。

一方でケータイというのは面白いサイト、興味深いサービスを見つけてもそのURLを閲覧してコピーして、ブログなりに書くのがPCに比べて圧倒的に面倒くさい。「紹介したい」と思ったときに別のウインドウなりタブなりでブログを呼び出し、残しておいた対象サイトの方を参照しつつ紹介する、という方法ができる端末は限られているし、できたとしても相変わらず煩雑ではある。ケータイサイトをPCで紹介するのもやや面倒で、おまけに見た人がケータイを取り出してアクセスするかというと、PCサイトにリンクを貼ってる場合ほどでもない。紹介されたPCサイトにケータイ版があることを知り、そこでアクセスにつながるケースもあるだろうが、それはクチコミとはいささか違う。

そういえばしばらく前に「どうってことないサイト紹介サイトを無数に作って大儲け」という事例をテレビで紹介してた気がするし、大儲けか知らないがそういうゴミのようなサイトはまだ多い。
なんでそんなものをクリックしてしまう人が多いかといえば慣れやリテラシーを挙げる人もいるのだろうが、そもそもそれ以外で誰かが他のサイトを紹介している記事なりサイトなりというのが圧倒的に少ない、というのが主因な気もする。
これは個人のブログなりを見ていて何か新しいサイトや面白いサービスを知る機会がPCでのwebに比べて非常に少ないということでもある。

一方で、対面でのクチコミは1対多のクチコミよりは起きやすい。何かの雑談の際に手持ちのケータイでアクセスして見せることもできるし、URLを相手のケータイにメールするのも簡単だからだ。ちなみに、メールも1対1型のクチコミに含められるだろう(このブログを読んでいる人は知らないかもしれないが、小型のPC端末やiPhoneを持ち歩いている人は普通少数だ)。

とはいえ、その場合1クチコミで情報が広上がる対象は1人~数人程度、同じ人がことあるごとに何回も同じサイトを紹介するとも考えにくい。つまり、クチコミによる伝播力が弱いのだ。

それでも「クチコミで人気に」というケータイサイトはあるのだろうが、前に流行った「脳内メーカー」みたいに1コンテンツだけですぐ終わるシンプルで解りやすい1発ギャグみたいなものか、よほどマスが狙えそうな幅広い属性がターゲットになるようなものくらいだろう。日常で「同好の士」でもない人となんとなく雑談をしていて話題にならなそうなものを扱っているサイトは、どれだけ有益だろうがなんだろうが1対1型のクチコミでもたいした数は集まらない、ということだ。

えっと、どうしてこういう記事を書いたのかというと、これまでPCサイトを主に手がけてきた人へ「ケータイではブログで取り上げられたりして注目や人気を集める、知名度を高める」ということはPCサイト以上に期待できないよ、プロモーション効果が欲しければ地道に広告出稿しようね、ということが言いたかったから。あと、それに関して次に書く記事の前フリ。
最近、企画書や提案書を書く際に「合意形成がしやすい」という点を心がけている。あまりたいした工夫でもないんだけど、ちょっとしたポイントみたいなものでも書こうかと。

・合意形成の重要性
言うまでもないのだけれど、合意形成がなされないものというのはなかなか実現しない。「キミとボク」みたいな小さなユニットだけで完結するならともかく、複数の利害や方針が違う人たちを相手にするなら、それなりに合意形成ができないと「そうはいってもねぇ」「これじゃあ納得してもらえないよ」「ここはどうなってるの?」「そもそもこれは~」とかとか面倒なことになり、それを説得して回る労力が増えるし始動前に頓挫する可能性も高まる。この場合の合意形成に「実行の承認」も含め、「キミとボク」で“キミ”が上長ならそこでも合意形成は欠かせない。

「そんな事なかれ主義はダメだ!」「周囲から反発されるものの中からこそ新のイノベーションが生まれる!」「いまムーブメントを起こしているものは、どれも最初は周囲に理解されてなかった!」とか寝言を抜かす人もいるだろう。だがちょっと待って欲しい。ラーメン屋でうどんを注文して出てくるだろうか? うどんを食いたきゃよそへ行け。 これから書く話はむしろ、正面から提案したのでは合意形成ができず、頓挫しそうなものにこそ効果的なのだ。

・基本発想
どのみち実際にやることが同じなら、合意形成を得にくそうな見せ方で頓挫したり説得に四苦八苦するより、合意形成の得やすい見せ方で提案した方がいいんじゃないか。

・必要なこと
なるべく「さりげなく」「たいしたことではないように」「ごくアッサリとして」見えるように書く。実際にはどうあれ。もうすこし詳しい留意点は後述。

・適用方法
最初からそういう提案を考えようというわけではない。あくまでも「そう見える」という点に注意。なのでまず提案内容を決める。この時点では(まあ普通は)なにか自分なりにゴールを設定する。コンバージョンレートを改善するとか、ブランディングを行うとか、自分が駆け出しグラビアアイドルに会うとか、はてなでチヤホヤされるとか。
で、そうやって提案内容が固まってから、いかにそれが「さりげなく」「たいしたことではないように」「ごくアッサリとして」見えるようになるか考える。

・留意点
◆見た目
 とにかくあっさりと素っ気無く。装飾は廃して「情報を正確に伝えること」のみに注力した感じで。「気合入れた提案」に見えないよう気をつける。文字は「大小」「黒と赤」くらいにして、なるべく平べったく作る。
 1Pあたりの情報量は少なく、レイアウトも工夫しない。解りにくくならないようにだけ気をつける。
 「印象に残らない」「読み手の意識が紙の上を滑るような」仕上がりにするのが目的。ヘタに細部まであれこれ熟読されたり印象に残ったりすると、そのぶんだけ「いや、まてよ」みたいな思いが相手の頭に浮かびやすくなる。

◆補足的に書く
 提案の中で問題になりそうな部分ほど補足的にさらりと書く。とにかく読み飛ばしてもらえるように。といっても「大人の事情」「利害の違い」「ポジションの違い」「メンツの問題」など「状況とか関係者が違えば問題にならなそうな問題」に限る。これは合意形成に大きな障害となるうえに解決が厄介なので、できればリリースまで誰も気付かないのが理想。それ以外の問題点や課題点はちゃんと書くように。
 
◆ウソは書かない
 なんとなくここまで読むと人を騙くらかそうとしているように見えるが、そうではない。見せ方を変えているだけで、見せているもの自体は変えないように。

◆問題設定と体裁を考える
 これは一番最後に。提案とか企画は大なり小なりなんらかの問題点(というか解決すべきこと)があるから行われる。で、この問題設定を誤ると「これって問題なの?」「これは問題ではない」「この問題は今は着手したくないorできない」「それってうちが協力することなの?」などなど言われ、ラチが空かない。というわけで、いかに「うんうん。これはどうにかしないとね」と深く考えずに言ってもらえるかがポイント。自分が本当にその提案の実現で達成したいと思っている事柄とは別でもいい。

どういうのが無難かといえば、平たく言えば「UU向上」「販売促進」「売上げ向上」「資料請求数の増加」などなど。これらは現状がどれだけ好調でも「もう充分。これ以上は必要ない」ってことがないので合意が得やすいし、事実、それはサイトなりサービスなりが続く限り「常に永遠の問題」であって嘘ではない。ありもしない「問題」をでっちあげるのは論外である。

「認知度向上」「話題作り」などは一見すると合意が得やすそうだが、人によって優先度がえらく低かったり、達成による効果を疑問視したりする人がいるので注意が必要。全般に「それの達成により最終目標を補助する」系の事柄は合意が得られなかったりする。

あとはこうした問題設定の中から、提案内容にマッチしそうなものを選んで、滑らかにつながるよう考える。つなげ方に無理があると、当然そこがネックになる。だいたい、上手くつながらないものを「実施によって解決を目指す問題」に設定したとしても提案段階で違和感を抱かれやすい。自分でも「この提案で一番解決したい問題ではないけれど、あるいは効果があるかも」と思えるものを選ぶのがいい。

もちろん、自分が達成したいor解決したい事柄が合意を得やすそうならそれをそのまま書けばいい。

体裁というのは問題設定に似ているが、「実現によっていくつかありそうなプラス効果から、一番合意を得やすいものに焦点を絞る」という形態。ほかは全部「副次的な効果が期待される」程度に留めるか、割愛する。割愛しても後から「思わぬプラス効果」で済むから。


以上、たった3つのポイントだけでも合意の得やすさが違ってくる。企画書なり提案書なりを相手がサーッと眺めて「まあ、いいんじゃないの?」と深く考えずに言ってくれるのが理想。

どんな手法にもデメリットがある。今回の手法(ってほどでもないけど)だと
・あとから「あれ、○○って書いてたよね。ゴメン見落としてた。あれだとちょっとダメだわ」とか言われることもある。
・提案段階で見逃して欲しいポイントに気付く(そして問題視する)人もいる
・当然ながらコンペ案件とか元から注目度の高い案件には使えない
・費用が高い場合はどうにも通用しない
とかがある。

というわけでまあ、そこはケースバイケースってことで。まあ、誰かが参考にして真似るとも思えないが。
webディレクター業務を行うなかで、気付きにくい地味な落とし穴というのは多々ある。そういうのに限って、ハマるとこれまた地味にダメージが大きかったりする。そんな中でも特に地味なのを取り上げてみたい。

・AとBとCとの問題
「AはBである」「BはCである」「ゆえにAはCである」というもののうち、前二つが分かっているのに最後の一つがなぜか失念される状態。例えば「10/3は土曜日である」「明日は10/3である」までは分かっているのに、なぜか「ゆえに明日は土曜日である」が失念されている状態。

これはオーバーだけど(私はたまにやらかすが)、他にも
祝日注意報
という9/17の記事だと

今月は祝日が多くて広告のインプレッションが足らなくなったらしい。後ろのディレクターの席に広告担当の人が慌てふためいた様子でやってきて、なんとかして広告の露出を増やせだとか、そんな無茶なとか、なにやらしばらくがやがやと賑やかにしていた。

9月が30日しかなくて、しかも祝日が多いことなど、もう何年も前から決まってることじゃないのか。

というのがある。

これもたぶん
「休みが多いと広告のインプレッションが減る」「今月は休日が多い」まで解っているのに、「ゆれに今月は広告のインプレッションが減る」というのが失念されてたんじゃなかろうか。

余談だが上記記事に「どうして、体育会系と文系の作る経済はこうも非合理的なのだ。」という一文があって、そりゃ合理的な経済が作れないから体育会系とか文系にはならないだろ、と思ったり思わなかったり。私はずいぶん昔に美術系だったのだが、美術系はそもそも経済が作れない。

冗談はさておき。これは発生すると露見するまでなかなか気付かない類のものである。脳の認知ミスか何かなので、「目の錯覚」とか「偽記憶」くらい防ぐのは用意ではない。絵に描いたような「うっかり」なので、これが根絶できるならこの世に「うっかり」なんてなくなるだろう。

・ダイジョウブジャナイロボ問題
見出しは適当。
「大丈夫ですか?」→「大丈夫だよ」→大丈夫じゃなかった
という体験は誰しもあると思う。似たような例として
「大丈夫ですか?」→「大丈夫だよ」→大丈夫だった→「大丈夫だったな」→大丈夫じゃなくなってた
とか
「大丈夫だよな」→大丈夫じゃなかった
とかがある。

ただの怠慢で発生するケースもあるけれど、そうじゃない場合もある。怠慢じゃない場合、この3つはたぶん共通点があって、人間はときどき「自分で判断材料から無意識に推測した結論を事実と誤認する」ってことが起きるんじゃないだろうか。科学的な根拠はないのだが。
それが要するに「思い込み」ってやつなんだろうけれど、「AとBとCとの問題」と同様に脳の認知ミスか何かなので、一度それが起こると露見するまで気付きにくい。

防ぐ手として確認を徹底する、というのが考えられるけれど、最初のパターンはそもそも確認はしているわけだし、それを疑いだすと確認の意味がない。極端に言うと確認の確認の確認の…と続いて切りがない。


いずれの問題も自分なりに再発防止とか考えてた時期もあったけど、結局いまは完全に防ぐことなどできないと思うようになった。今風に言うと「ヒューマンエラー」の類なんだろうか。まあだったらどう、というものでもないけれど。

で、こうした問題の発生を事前に想定して防ぐというのはwebディレクターとしてそれはそれで立派な能力だけれど、むしろこうしたことが発生したときにうまく対処できる能力の方が重要な気はする。

他にもこういった「気付きにくい地味な落とし穴」について挙げたいと思っていたのだけれど、思い浮かばない。思い浮かばないからこそ「気付きにくい地味な」落とし穴なんだろう。今現在もなにかそうした穴にハマっているかもしれないが、それは露見するまで判らない。
以下はパワポでワイアフレームを作ることを正当化しようという試みである。ただし実際には、関係各者のあいだで特に問題ないならワイアフレームはパワポだろうがFireworksだろうが、台紙にワリバシ貼ろうが、どういう作り方でも構わないと思っている。何が正しいとかいうことはなく、どういう流れでディレクションしているかによって適・不適があるだけだ。
ちなみに、前回の記事

ワイアフレームについて考えたことを書こうと思っていたのだけれど、その前段階を一部兼ねて別の話を。

と書いたけれど、特にそんなことはなかった。

さて、というわけで私はパワポでワイアフレームを作っている。他にワイアフレームを作る上で考えられるのがエクセル、画像、PDFだろうか。

考えてみるに、ワイアフレームの役割は二つある。
・クライアントや上司などの意思決定権者に「どういうページ構成になるか」を理解してもらう
・デザイナーに「どういうページ構成になるか」を理解してもらう
前者についてはおおまかであれカンプの段階からスタートする手もあるが、初回提出までに掛かる時間や出し戻しなど考えるとやや難がある。また、それを見る相手によってはカンプからスタートだと「UIとしてのデザイン」「装飾としてのデザイン」がごっちゃになってしまうこともある。まずはページ内の構成要素やその配置、導線の作りなどなど、UI的な部分から詰めた方がいいような気がする。

また私の場合はワイアフレームの脇に注釈を付ける作り方をしている。なので、画像で作るとなると上下なり左右なりに注釈を書き込むスペースを設ける必要が出てくる。

受け取る側にしても、画像なりPDFで受け取った場合、赤字を入れるのにひと手間必要になる。パワポで出してくれれば、開いてそこへダイレクトに赤字を入れることができる。文字修正も楽だ。これはエクセルでもいいのだが、エクセルの場合、パッと身でどこまでが1ページなのか把握しにくく、コメント入れたりすると例えば印刷などしたいときに再設定が必要だったりと、やや煩雑である。受け取ったものを刷り出して、手書きでコメント入れてFAXで戻すという人には関係ないことだが。

コメント戻しを受け取る側としても、画像なんかで出すと人によっては赤字に相当するものを別途、全部テキストで書いてくれたりして、それを照らし合わせつつ読む、あるいは参照箇所の行き違いなど、とかく面倒だ。

画像などで作る場合のメリットは以下だろうか。
・実物大でサイズなどキメ撃ちで作れる
・パワポでは小さくてゴチャつくレイアウトでもすっきり組める

「実物大で~」というのはデザイナーが参照する際に便利そうだが、実際に色を乗せたり形を作ったり、あるいは提供された画像やテキストを流し込んでみると収まりが悪いことも往々にしてあるので、結局「実物大」でキメ撃ちするメリットが失われてしまうこともある。

「ゴチャつくレイアウト~」についてだが、あくまで個人的にだが、パワポの1ページに入らないレイアウトというのはそもそも1ページの情報量として詰め込みすぎなんじゃないかと思う。また、リストなんかはワイアフレームのときは全部入れるのではなく、適宜省略して注釈に「実際にはコレコレが入る」のように書けばいいわけだし。

話が前後するが、ワイアフレームを画像で作って、注釈が必要なときはパワポに貼り込むという方法もある。しかし、これだと画質もアレだし、受け取る側はやはり赤入れ時に直接編集できない場合が出てくる。また、それに基づいて修正するときにまた画像で作った修正版をパワポに貼り込んで提出、という作業が出てきて、これもこれで地味に煩雑だ。

デザイナーにFIXしたワイアフレームを渡す際も、例えばデザイナー向けの注釈をつけるのにパワポは楽だし、必要なくてもちゃんと作ってあればクライアントなり上司なりに出したワイアフレームのパワポファイルをそのまま渡せば充分なことだって多い。それがサイト仕様書も兼ねていれば、直接は必要なくてもデザイナーに対してサイト構成やその他の情報が参考になることもあるだろう。

あとまあ、画像よりたいていファイルサイズが軽量だしね。ページ数が多いと如実に違ってくる。

赤入れ時に直接編集できるというのは、ともすればどこを編集したかパッと見で分からない場合があるので、それが難点といえば難点だが、補って余りあるメリットを持っていると思う。

というわけで、諸事情により急いで書いたので漏れもあるだろうけれど、言いたいこととしてはそんな感じ。
とはいえ、冒頭にも書いたけれどその正しさや他の手段に対する優位を主張しているわけではない。なんなら版木を彫って作ったって、それでスムーズに行くなら一向に構わないのである。

あと、こうやってブログに書くのでもなければ、ワイアフレームをパワポで作る意義なんて考えるのは瑣末なことでもある。
ワイアフレームについて考えたことを書こうと思っていたのだけれど、その前段階を一部兼ねて別の話を。

ただのウェブデザイナーで終わらないため身に付けておきたい事

という記事を読んだ。論旨としては「デザイン+αを身に付ける」というのが「ただのデザイナーで終わらない武器」であるという結論で、実際にはどういうことか?ということを書いている。箇条書きにすると
・コスト計算がしっかりできる
・しっかりとデザインの説明ができる
・作るを仕事としない
だそうな。

ところ変われば…で、このブログでもさんざん書いているけれど、内部制作なのか受託なのか、どういう人員構成なのか、どういう立場から見ているのか、などなど事情によって様相が一変するので、上記の話があてはまるケースもある。
けれど事情が変わればあてはまらない話になる。というわけで、上記記事ではどういう事情(状態)を想定して書かれたものか知らないけれど、「受託案件中心のチームでデザイナーとは別にディレクターがいる」という状態を想定して、そのディレクターの立場から(といっても私の主観だが)書いてみたい。何を? さあ? 何か。

1:そもそも論
デザイナーが「ただのデザイナーで終わりたくない」と思うのは自由で、好きにやって欲しい。向上心があって素晴らしいことだと思う。ただ、上記記事では

例えば、デザインだけができる人と、自ら案件を取ってきて、自分でデザインが出来る人、どちらを採用しますか?と聞かれて、誰しも後者と答えるはずです。

というのが「デザイン+αを身に付ける事が重要」な例(理由なんじゃないかと思う)として挙げている。
が、そうとも言えない。たとえば、すでに営業やら他の経緯での案件受注が主な流れになっている場合、ディレクターはその全体量を把握したうえで作業負荷をやりくりし、各クライアントに対して納期の話をしていたりする。
そんなときにイレギュラーにデザイナーが勝手に案件を取ってきてくれても「ありがたいけど…」ってな感じだったりする。引き合いが来た段階で事前に相談してくれるなら大変ありがたいけれど。

そもそもデザイナーを採用しようというときはデザインする人が欲しいのであって、案件が取ってこれる人が欲しいわけではない。「取ってこれる」という場合も豊富な人脈などであまり労せずして取れるならいいけど、それなりの営業活動が出来るって意味なら「そんなことより今は目の前のデザインに集中してください」という気持ちになることもあるだろう。

繰り返すがデザイナーを採用するってときはデザインする人の手が足りないのであって。
すでに居るデザイナーが案件取れるようになろうと思ってくれるのも大変ありがたいこと。だけど、やっぱりそれはデザインの仕事に影響ない範囲で、ということを忘れないで欲しい。もしクライアントなり案件なりを何らかのつながりで紹介できそうなら、自分で取りに行くのではなく営業担当者を先方へ紹介してやって欲しい。

とまあ、案件取る取らないに限らず、+αを身に付けるならデザイナーは目先の仕事に影響ない形でやって欲しい。言うまでもないことだけど、デザイナーにこちらが求めているのはまずデザインできることであって、それ以外は「おまけ」みたいなもの。仮にプログラミングを身に付けてくれたとしても、案件にプログラマーとしてがっつりアサインしたりはしない。プログラミングしている際に他の案件が差込で入ったときに、デザインの工程が止まっても困るし、プログラミングの工程が止まっても困るし。他のデザイナーに振れるならいいけど。それはそれで本末転倒な気もする。

というわけで、ディレクターからすると無理に「デザイン+αを身に付け」て欲しいと思っているわけではない。私だけかもしれないが。ともあれこれがまあ、今回で一番言いたかったこと。

2:コスト計算
オウフ。既に長くなってるな。まあいいか。「デザイン+α」の中身として挙がっているのだが、

○○万円の案件だから、下請けなのか、直接なのか、それによって会社に入ってくるのはいくらになり、そこから諸々の販管費などを差し引いた場合、使える時間はどれくらいか。

ってのはデザイナーが無理に判断しなくってもいい。アートディレクターだとか、デザイナーがディレクターを兼ねてるならともかく、他にディレクターが居れば、そいつが考えるべき。まあ、考えてくれてもいいけど、ディレクターだってその辺は勘案した上でそのデザイナーに「これこれをいつまでにして欲しい」とか相談しているわけであって。

自分で納期を決めれる方はとてもやりやすいです。
「これ納期いつまでっすか?」なんて聞くデザイナーは失格ですね。

この記事書いた人がどんな職域なのか知らないけれど、もしディレクターなら

「これ納期いつまでっすか?」なんて聞くデザイナーは失格ですね。

とか書くのはそれこそディレクター失格である。納期がいつまでか聞く聞かないなどという瑣末なことで合格も失格もクソもない。聞かれれば言えばいいし、聞かれなくても伝えればいい。それだけだ。記事の執筆者がディレクターじゃないならまあ私にはとやかく言えないけど。あと、納期が決まってる場合も多いので、求められてるならともかく、自分で勝手に納期決められても困る。

「計算したところ、○日がかけれる最大日数だと思いますので、○日にラフ案、○日に戻しで○日FIXでいきます。」みたいなデザイナーはディレクターからしてみれば最高じゃないでしょうか。

→最高じゃない。いや、できて欲しいんだが、できても普通って言うか。だって逆にこれができないってことは
「これ、どれくらいでできそう?」→「わかりません」とか「いついつまでにできそう?」→「わかりません」ってことだ。これはさすがにお話にならないだろう。いや、事情にもよるか。たとえば複数のラインを掛け持ちしてて、他のラインからの仕事が微妙にどうなるか読めないときとか。ただ、そういう特段の事情がない限りは上のような事はできて当然だろう。…要求水準が高いとは思わないが。

3:デザインの説明

なんでこうなってるの?と聞かれて、だってキレイじゃないですか!というのは卒業しましょう。

とのこと。自分はデザインを大きく「UI」「装飾」の二つに分けていて、「UI」でそれは確かにやや困る。ただデザイナーがそういう理由でデザインしたものでも、ロジックから考えて特に問題なくクライアントに説明できそうならそれでもいい。「装飾」についてはこれはもう上記記事にも書いてあるけど好みの問題も大きく、自分の経験ではいくらロジックで説明可能でもクライアントの好みに合致しないとダメだったりというのが往々にしてある。

むしろ困るのはロジックで説明できないより何より、自分のデザイン、もしくは感覚やロジックに固執して聞き入れてくれない人。言われるままハイハイと従ってくれる必要はないのだけれど、それならそれで「クライアントを説得できる」もしくは「先方の要望と自分のやりたいことを上手く摺り合わせて昇華する」くらいはして欲しい。それができず闇雲に自分のデザインなり説なりをかたくなに繰り返されるのが一番困る。

4:作る仕事

デザイナーの仕事はデザインをする事。と思っている人がいますが、大きな間違いです。
アーティースト、趣味、個人的嗜好などでやっているのであればそれで問題ありませんが、クライアントがいる以上、デザイナーの仕事は効果のあるデザインをする事です。

つまり、成果をあげる。
そのためのデザインをする。という認識を持つことですね。

これはまあ、そうなんだけれど、これも+αになり得るかというと微妙。最低限の認識じゃないかと思う。ディレクターとしては成果を挙げる手助けになるよう、役立ちそうな情報があればデザイナーに伝える感じ。


とまあそんなわけで、「そもそも論」からして引用元の記事とは全然違う主張になっている。にしても、上記記事が説いている内容ってあまりにも初歩的で、身に付けたところで「ただのウェブデザイナーで終わらないため」にはならない気がする。それともそれって私のワガママであって、不当に要求水準が高いのかな…。まさかなあ。
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