泥臭いWEBの底から~WEBディレクター覚書~

WEBディレクターというのは何を考えておるのか。その一例。

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こんなタイトルをつけるとこのブログがあえてそういう方法を実施していて、その気になれば人気のブログになれるかのようにも見えるが、そんなわけはない。そんなことが可能なら、ブログコミュニケーションコンサルタントだかなんだかを名乗って一儲けするがな。あるいは別のブログ作って名前を売ったりするだろう。知名度があれば得することもあるんじゃないの? 名前売れたことないから知らんけど。
ただまあ、人気のブログを目指す人は逆の発想から観てみるのも役立つかもしれないし、人気がありすぎて困っている人なんかも以下を実践すれば多分大丈夫。

で、まあ方法と書いたけれど、いつも自分がブログやその周辺行動としてどんな感じかをあらためて考えてみた結果である。いつもとはちょっと毛色の違った記事だ。あと最初にミもフタもないことを書くと、このブログもそうかもしれないが、内容が面白くなければゼロから人気は出ない。では前フリ終わり。

・毎日更新しない
自分は好きなブログを必ずRSSに登録しているので、それらのブログがどういう頻度で更新されているか、気にしたことがない。ただまあ、毎日更新すれば記事数も増えるし、なにやら注目されやすいのかもしれない。

・需要の少ないジャンルにする
テーマを設けたブログの場合、需要の少ないジャンルにする。このブログだって「webディレクション」なんてたいして需要のないジャンルだ。

・ネタが旬かどうかとか気にしない
面倒なのであえて避ける必要はないのだけれど、別に旬のネタかどうか気にしなくていいし、キャッチアップする必要もない。たまたま思いついた話がそうだったり、そういうネタを見て思いついたりしたら書けばいい。

・親しみやすい文体にしない
自分は何の工夫もなく自然体で書くとご覧の通りの文体なのだけれど、これではお世辞にも「親しみやすい」という雰囲気ではない。そうなると自然と書いている人も親しみやすくないイメージになり、あまりコメントとかで絡みたい気にもならない。

・ブログを交流ツールにしない
・ネット界隈で知り合いを作らない
・ブログとヒモ付く形でネット上で活動しない
これは3つとも似たような話なのだけれど、自分の場合二つ目は「ネット界隈に知り合いがほぼいない」というだけである。ただ、知り合いが多くてそうした人がその人のブログを知っていると、なんとなくコメントがついたり紹介したりされたりで注目される可能性が高まるんじゃないかと思う。

・賞賛やオススメだけの記事を書かない
・非難だけの記事を書かない
これは表裏一体で、先の3項目とも関係する。プラス評価の記事をかけば書かれた人はそのブログに好印象だろうし、マイナス記事を書けばモメたり「何か批判しまくりな記事やブログが好きな人」が集まって来やすい。とはいえ何かについて書くと気に「中庸」とか「プラマイゼロになるように」とかバランスを取るのも面倒なので、あんまり意識はしてないけど。

・ポジティブなことやネガティブなことを書かない
・極端なことを書かない
夢も希望もない代わり、失意も絶望もないような記事を書く。中立的とか客観的な態度というわけではない。だいたいポジティブな話やネガティブな話というのは解りやすかったり誇張しやすかったりそういう話が好きな人が多かったり読み物として面白くしやすかったりする。一方で、そのどちらでもない記事はだいたいが退屈な結論に至るので、そんなにインパクトもない。ただ、だいたいの物事にはいい面も悪い面もあるし、そうそうどちらの方向であれ劇的なことなんぞありはしないのだから、まあ「フツー」な感じなんじゃなかろうか。そういう意味では物事や自分の考え方を面白く見せようという工夫をしない、とも言い換えられる。

・自分の話をしない
今回の記事はかなり例外的で、いつもこのブログでは自分のことをほとんど話さない。ただ、そうやって私事を書かないと書き手に対するイメージとか親しみが湧きにくいだろうとは思う。
やや脱線するが、そもそも三〇手前の小男の日常がどうしたこうしたなんて興味ないだろう。私だって自分自身か知り合いでもなければそんなものに興味はない。好きで読んでいるブログだって、それを書いている人自身のことはわりと興味ない。RSSに登録しているブログでも、そういう記事はあまり読んでない。その人がどんな人だろうと、それこそ知っている人でもない限り、結果的に書かれているものが面白かったり興味深ければそれで充分だと思っている。

・長文を書く
・解りやすい文章にしない
・前置きとか前提条件を書かない
どちらも「短くわかりやすい文章を書く」という手間を面倒臭がっての結果なのだけれど、短いと読んでくれる人が増えるだろうし、解りやすく短く書くと省略される部分が出てきてそこを指摘したくなる。指摘するとなるとそれに反応したりして、結果的にブログが交流ツールとしての役割を果たすようにもなる。言及量が増えると注目も集めやすくなる。
そういえばよく「前提や前置き」なんかを「予防線」なんて呼ぶけれど、あれはどうなんだろう。自分の場合、これらを書くのは性分でそれを省くと書いていてどうにも気持ち悪いからなんだけど、書かなかったらどうなるかというとたぶんどうにもならない。他もまあだいたいのブログはそんなもん書こうが書くまいがどうもならんと思うんだけど。

・ブログを雑に扱う
ここまで読んだり、普段から読んでくれている人は解ると思うのだけれど、今回の記事で挙げたものでこのブログに当てはまらないものはあると思う。「ブログを交流ツールにしない」とか言いつつ過疎ってるけどコメント欄あるし、書き込んでもらえればレスはするし。
というのもこのブログ内で書いていることに一貫性を持たせようとか、ブレないようにしようという気がないからだ。この記事にもたびたび出てくるけど、面倒だから。ちなみに「少しでも面倒、大変だと思うことは一切やらない」というのはブログを続けるコツの一つだと思う。

ようするに自分のブログにそこまで重きを置いてないというか意識や注意を向けてないというか、ウエイトが低く雑な扱いになっている。とか書くと怒る人もいるかもしれないが、結果的に書かれている内容がある人にとって面白かったり興味深ければ読むわけで、そうである限りはそのブログについて書いてる人自身がどう思ってるかは関係ない。私がいつも更新を楽しみにしているあのブログやあのブログだって、書いている人は更新がいいかげん重荷かもしれない。飽きてるかもしれない。更新が頻繁じゃないのは、更新を忘れるくらいそのブログがその人にとってどうでもいいからかもしれない。でもま、読んでる方としてはそれはどうでもいいじゃないか、と。書かれていることを読みたいから読むわけで、その人の自ブログに対する態度や想いが見たいから読むわけじゃなかろう。


以上。

ちなみに人気のないブログであることにもいい点はある。
・好きなときに好きなことを好きなように好きなだけ書ける
・誰に何の配慮もしなくていい
・何を書いても別にモメない
・読んでくれている人は「本当に読みたいから読んでくれているのであって、知り合いだからとか有名だからとか、そういんじゃないんだなあ」と実感できる

人気があっても注目されててもそうできる人ってのはもちろんいるだろうけど、人気だったり注目だったりするとなかなかそうはいかない、という人も少なくないんじゃないか。ってもまあ、わざわざ意図的に維持するほどのことでもないのだけれど。というか、自分のブログが人気かどうかより、今日買ったベヨネッタが本当にガッカリゲーなのかどうかの方がよっぽど気になる。
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今やiPhoneはモバイルビジネスを考える上で無視できない存在とかいう話も目にするけれど、今のところ無視してても何ら痛痒を感じていない。きっとあとで泣きを見るんだろうなあ…。とかいう殊勝な態度はまあいいとして。

もし今後スマートフォンがケータイのスタンダードになったら? ということを考えてみたい。どういうシナリオでそうなるかはさておき余興として。勘違いしている部分も多いと思うのだけれど、ご笑覧ください。

さてさて、当座の枠組みとしてiPhone、Android系&その他というざっくりとした分け方を頭の隅において、同じコンテンツのキャリアごとの呼び名の違いは忘れてください。

・情報コンテンツ
基本的にPCで見られる情報はPCと同じサイトで見られるので、だいたいが手離れor無価値になる。それを避けるならスマートフォン以外でアクセスできないサイトなりコーナーなりをわざわざ作って、PCでは閲覧できない情報を掲載するという非現実的な話になる。その分のコンテンツ調達費なりケータイサイト向けにページを作るコストは減るけど、客寄せやにぎやかしにこうしたコンテンツが使えなくなる。PCは無料、ケータイでは有料とかやってた商売は成り立たなくなる。

他のコンテンツの販促としてこうした情報を使ってた場合も影響がある。
あるミュージシャンがいて、PCとケータイで公式サイトがあるとする。ケータイサイトのほうはニュースやらなんやらからモバイル向けコンテンツへのリンクを貼って、商品販売の誘導口にしていたとする。また、サイトのメインメニューにも「着うたフル」だの「きせかえ」だののケータイ専用コンテンツが並んでいたとしよう。
情報部分はPCサイトに統合されるので、従来的な販促をするにはPCサイト側へそれを組み入れてもらうことになる。メニュー類などは大幅な変更が必要になるだろう(スマートフォンが主流になってそうしたケータイ専用コンテンツがどうなるかは後述)。ユーザが何でアクセスしているかを見て、メニューやら関連情報の表示内容をPC向けとスマートフォン向けで変える、という形になるかもしれない。

同じ会社なり部署なりが一括して両方を運用しているならいいが、違う部署や会社だった場合はPCを手がけている方に「お願いして」やってもらうことになる。違う会社だったらケータイ版を運営してた会社は1案件失注する。

・待受/Flash待受
成り立たなくなる。今のスマートフォンでは画面にアプリやらなんやらがガジェットとして並ぶので、待受の絵はあまり見えず、Flash待受は動くとも思えない。iPhoneだとロック状態の画面に待受が表示されるが、なんにせよ価値の低下、販売の成り立たなさは避けられない。

実際の待受としての役割以外、たとえば好きなグラビアアイドルの画像コレクション、といったような「コレクション」目的での価値も低下する。スマートフォンだと「2ch画像スレまとめ」みたいな場所から無料で溢れるほどDLできるし、今のケータイ向けにもそうしたサイトがあるものの、もっと増えて目立ちやすくなると思う。従来はPC向け画像のまとめばかり作っているそうしたサイトの管理人も、スマートフォン向けのまとめを増やすだろうし、まとめられる側でもそうした画像が増えるだろう。

・デコメ/デコメ絵文字
まあ今でも斜陽だけれど。これもHTMLメールのテンプレって感じで今のキャリアごとの差分による分断は避けられるかもしれないが、ますます売れなくなるだろうなあ。っていうか、iPhoneとかAndroid系ってHTMLメールってどういうふうに対応してるんだろうか。あと、デコメ絵文字については個人でPCサイト用の素材を制作、配布しているサイトなんかが自分らの作ってるアイキャッチ用のGIFアニメとデコメ絵文字が同じって事に気付いて、張り切って無料で投入してくるんじゃなかろうか。PC用と同じでいいなら、デコメテンプレートなんかも今より簡単に作れそうって気になって(まあ、今でも難しくはないが)個人で作って配布するサイトが増えるんだろうなあ。そうなると高品質を謳ってもなんでも、商売としては成り立たないだろう。

・マチキャラ
どっかいく。

・きせかえ
どっかいく。今のケータイでさえ「作る場所多い」「機種対応面倒」とかでなかなか採算合わないのに、スマートフォン向けの作ろうと思ったら可能であっても今より高コストだろうし、端末なりOSなりの提供元がサポートして呼び込まない限りコストアップでますます商売としては難しいんじゃなかろうか。PCの例で行くとwindows向けのカスタマイズテーマ作って売ろうって発想に近い感じでさあ、大変よ? しかも今のところスマートフォンだとそんなにカスタマイズテーマっつっても、いじれる部分って多くなさげだし。

・ムービー
今でも従来的なケータイ向けのyoutubeとかニコニコ動画とかあるけど、スマートフォンがスタンダードになったらもうPCと同じ感じになるんじゃないか。あと、もっとスマートフォンの方が進歩してだいたいの動画サイトでユーザ側が特に何の意識もなく動画を楽しめるようになると、既存のPCでの有料動画配信サイトと同じになってビジネス的にはなかなか厳しい。というか、いま思い立って試しにiPhoneでveohにアクセスしてみて頭もげた。動でもやりたきゃ「スマートフォン限定!」とかでやっぱりPCからのアクセス弾いて、他にはない動画を出すとかしてまあ気休めみたいなもんだ。

・音声関係
webラジオはPCのをそのまま聴く。楽曲のDL販売は着うたとか、普通の楽曲販売とかの境目はなくなるだろう。PCとケータイ向けの境目も。iPhoneだとiTunesから売るしかないよな。Androidとかその他だとまあ売れるか。ドワンゴとかがPC&スマートフォン(iPhone以外)用の楽曲販売なんかでがんばるのかな。それ以外でも今ケータイ向けに楽曲販売しているみなさんは戦場をPC&スマートフォン(iPhone以外)用に移して殺しあう感じで。

・電子書籍
現状のケータイ向け電子書籍は売上げのほとんどがエロとBLのコミックで主な利用者はあまり読書をしない人って感じなんだが、この傾向はスマートフォンでも一緒になるだろうか。kindleとかリブリカとかで電子出版ががんばって実際の書籍と売上げ構成が似てきたら別だが、その辺の流れはどうなるだろう。
変わらずエロとBLのコミックが売上げの主流だった場合、現在では出版社があちこちのケータイコミックサイトに作品を卸して売上げを得ているわけだが、スマートフォンがスタンダードになると音楽と同様、戦場をPC&スマートフォン(iPhone以外)用に移して、今までのケータイよりもコピーされやすい環境であれとかあれとかする。もしくはスマートフォン以外のアクセスを弾きつつあれとかあれとかする。
今のケータイのままでもそうなるだろうが、販売サイトは淘汰されて販路は減る。ゲーム機やkindleなんかでの販売によって増える販路もあるだろうけど。電子書籍の市場規模が増えて、エロとBLのコミックが売上げの柱という状況を脱さないとなんであれ先行きは微妙。

・アプリ
ツールとゲームに分ける。なんだろう。Vectorとかが売るようになるのかな。あとメーカーのDL販売とか。iPhoneについてはAppストアという超過密状態の戦場でがんばる。従来のケータイよりも「個人が作って無料配布」が増えるだろうから、そうした無料の相手たちとも今まで以上に戦っていかなきゃならない。

iPhoneのゲームはクソみたいなのもいっぱい、という話だが、ケータイゲームの方は平均がそれを下回る勢いなので、そのままスマートフォンに持ってったらアラが目立ってエラいことに。
というわけで、内容なり映像なりのクオリティアップを余儀なくされそう。そうなると自社開発はやや事情が違うかもしれないが、外注に出してる所は制作費がアップする。かといって値段は2倍も3倍もアップできないだろう。国内だけを相手にすると今のケータイユーザ相手と市場規模が大きく変わらないわけだが、まともに海外相手にするとライバルも世界規模の数になる。ローカライズの手間も掛かる。英語化したり、海外の法律的にどうかとかのコストも増える。

あと、Flashがちゃんと動くようになったら既存のPC向け無料Flashゲームとがっつりぶつかり合う。

・EC
PCとケータイの両面展開の場合はケータイ版を廃止。ケータイだけの場合は今まで以上にPC向けのライバル店舗とガッツリぶつかっていく。スマートフォンがスタンダードになったら今までPCでしか展開してなかったECサイトもライバルになる。

・アダルト
これもケータイのみだったところはECと同様、PCだけでやってた所がライバルに。



とまあ、こんな感じか。他にもあれこれありそうだけど、長くなったし疲れた飽きた。

スマートフォンがスタンダードになればそれによって生まれる分野や伸びるジャンルも当然あるんだろうけれど、既存のケータイ専門ビジネス的にはこんな感じだろうか。1ユーザとしてはスマートフォンの未来は大いに楽しみでスタンダードになっても面白そうなんだけれど、まがりなりにも現在ケータイサイトのディレクションをしている身としては、ユーザと一部の胴元以外ほとんどのプレイヤーがジリ貧になりそうなビジョンとかカンベンして欲しい。自分でネガティブな面ばかり書いておいてアレだけど。

【余談】
にしても、こういう流れでたまに「変化に対応できない所は滅びるだけ」みたいな論調の話を書く人がいるけれど、滅びるかもしれない側だって実際は生い立ちがあって家族とか将来とか日々の生活がある一人の人間なので、その一人一人からすれば「はいそうですね仰るとおりです」と謝罪して死にたくはないわけで。とはいえみんながみんながんばれば生き延びられるというわけでもないので、実に世知辛い。

転職するとかするにしても、景気悪いしねえ。能力や人脈があれば転職できるから心配ないっつっても、それらが「ある人」の側に入れない人が大多数なわけで、だからそれらが価値を持つわけで。その大多数に含まれる自分としても「はいそうですね」でおとなしく職を失いたくはない。なんだかんだで生きてるし。じゃあどうにかしろよと言われそうだが、それができればそもそもこんなことを思い煩ってクヨクヨしたりしない。いやまあ、根が馬鹿なのでそんなクヨクヨしてないけど。
最近、企画書や提案書を書く際に「合意形成がしやすい」という点を心がけている。あまりたいした工夫でもないんだけど、ちょっとしたポイントみたいなものでも書こうかと。

・合意形成の重要性
言うまでもないのだけれど、合意形成がなされないものというのはなかなか実現しない。「キミとボク」みたいな小さなユニットだけで完結するならともかく、複数の利害や方針が違う人たちを相手にするなら、それなりに合意形成ができないと「そうはいってもねぇ」「これじゃあ納得してもらえないよ」「ここはどうなってるの?」「そもそもこれは~」とかとか面倒なことになり、それを説得して回る労力が増えるし始動前に頓挫する可能性も高まる。この場合の合意形成に「実行の承認」も含め、「キミとボク」で“キミ”が上長ならそこでも合意形成は欠かせない。

「そんな事なかれ主義はダメだ!」「周囲から反発されるものの中からこそ新のイノベーションが生まれる!」「いまムーブメントを起こしているものは、どれも最初は周囲に理解されてなかった!」とか寝言を抜かす人もいるだろう。だがちょっと待って欲しい。ラーメン屋でうどんを注文して出てくるだろうか? うどんを食いたきゃよそへ行け。 これから書く話はむしろ、正面から提案したのでは合意形成ができず、頓挫しそうなものにこそ効果的なのだ。

・基本発想
どのみち実際にやることが同じなら、合意形成を得にくそうな見せ方で頓挫したり説得に四苦八苦するより、合意形成の得やすい見せ方で提案した方がいいんじゃないか。

・必要なこと
なるべく「さりげなく」「たいしたことではないように」「ごくアッサリとして」見えるように書く。実際にはどうあれ。もうすこし詳しい留意点は後述。

・適用方法
最初からそういう提案を考えようというわけではない。あくまでも「そう見える」という点に注意。なのでまず提案内容を決める。この時点では(まあ普通は)なにか自分なりにゴールを設定する。コンバージョンレートを改善するとか、ブランディングを行うとか、自分が駆け出しグラビアアイドルに会うとか、はてなでチヤホヤされるとか。
で、そうやって提案内容が固まってから、いかにそれが「さりげなく」「たいしたことではないように」「ごくアッサリとして」見えるようになるか考える。

・留意点
◆見た目
 とにかくあっさりと素っ気無く。装飾は廃して「情報を正確に伝えること」のみに注力した感じで。「気合入れた提案」に見えないよう気をつける。文字は「大小」「黒と赤」くらいにして、なるべく平べったく作る。
 1Pあたりの情報量は少なく、レイアウトも工夫しない。解りにくくならないようにだけ気をつける。
 「印象に残らない」「読み手の意識が紙の上を滑るような」仕上がりにするのが目的。ヘタに細部まであれこれ熟読されたり印象に残ったりすると、そのぶんだけ「いや、まてよ」みたいな思いが相手の頭に浮かびやすくなる。

◆補足的に書く
 提案の中で問題になりそうな部分ほど補足的にさらりと書く。とにかく読み飛ばしてもらえるように。といっても「大人の事情」「利害の違い」「ポジションの違い」「メンツの問題」など「状況とか関係者が違えば問題にならなそうな問題」に限る。これは合意形成に大きな障害となるうえに解決が厄介なので、できればリリースまで誰も気付かないのが理想。それ以外の問題点や課題点はちゃんと書くように。
 
◆ウソは書かない
 なんとなくここまで読むと人を騙くらかそうとしているように見えるが、そうではない。見せ方を変えているだけで、見せているもの自体は変えないように。

◆問題設定と体裁を考える
 これは一番最後に。提案とか企画は大なり小なりなんらかの問題点(というか解決すべきこと)があるから行われる。で、この問題設定を誤ると「これって問題なの?」「これは問題ではない」「この問題は今は着手したくないorできない」「それってうちが協力することなの?」などなど言われ、ラチが空かない。というわけで、いかに「うんうん。これはどうにかしないとね」と深く考えずに言ってもらえるかがポイント。自分が本当にその提案の実現で達成したいと思っている事柄とは別でもいい。

どういうのが無難かといえば、平たく言えば「UU向上」「販売促進」「売上げ向上」「資料請求数の増加」などなど。これらは現状がどれだけ好調でも「もう充分。これ以上は必要ない」ってことがないので合意が得やすいし、事実、それはサイトなりサービスなりが続く限り「常に永遠の問題」であって嘘ではない。ありもしない「問題」をでっちあげるのは論外である。

「認知度向上」「話題作り」などは一見すると合意が得やすそうだが、人によって優先度がえらく低かったり、達成による効果を疑問視したりする人がいるので注意が必要。全般に「それの達成により最終目標を補助する」系の事柄は合意が得られなかったりする。

あとはこうした問題設定の中から、提案内容にマッチしそうなものを選んで、滑らかにつながるよう考える。つなげ方に無理があると、当然そこがネックになる。だいたい、上手くつながらないものを「実施によって解決を目指す問題」に設定したとしても提案段階で違和感を抱かれやすい。自分でも「この提案で一番解決したい問題ではないけれど、あるいは効果があるかも」と思えるものを選ぶのがいい。

もちろん、自分が達成したいor解決したい事柄が合意を得やすそうならそれをそのまま書けばいい。

体裁というのは問題設定に似ているが、「実現によっていくつかありそうなプラス効果から、一番合意を得やすいものに焦点を絞る」という形態。ほかは全部「副次的な効果が期待される」程度に留めるか、割愛する。割愛しても後から「思わぬプラス効果」で済むから。


以上、たった3つのポイントだけでも合意の得やすさが違ってくる。企画書なり提案書なりを相手がサーッと眺めて「まあ、いいんじゃないの?」と深く考えずに言ってくれるのが理想。

どんな手法にもデメリットがある。今回の手法(ってほどでもないけど)だと
・あとから「あれ、○○って書いてたよね。ゴメン見落としてた。あれだとちょっとダメだわ」とか言われることもある。
・提案段階で見逃して欲しいポイントに気付く(そして問題視する)人もいる
・当然ながらコンペ案件とか元から注目度の高い案件には使えない
・費用が高い場合はどうにも通用しない
とかがある。

というわけでまあ、そこはケースバイケースってことで。まあ、誰かが参考にして真似るとも思えないが。
前にも書いたことがあるが、営業と同じくwebディレクターは他の職種に比べ海外へのアウトソースが難しい。これはwebディレクターにとってなかなか心休まる話だ。
しかし一方で、不安な話もある。「アメリカにはwebディレクターという職種が存在しない」という話だ。webディレクターなら誰しもこの言葉に不安を感じ、眠れない夜を数えたことがあると思う(しかし職場では不思議と寝られる)。

そもそもアメリカのweb業界ではイノベーションが多く生まれている。GoogleやAmazonは言うまでもなくポルノサイトでさえ、そこに掲載されている女性のユニーク数は世界の人口を超えているという。これはアメリカでいかに多くの宇宙人が人間のフリをして秘密裏に生活しているかを裏付けるものであるが、それはさておく。

ともあれ、こうした日本(や他の諸国)とアメリカの違いについて主に組織や技術の側面から多くの考察がなされてきた。しかし、問題の核心を解明するには至っていない。それも当然のことで、この差は「webディレクターがいるかいないか」によって生じているからである。以前私はこう書いた

あまり知られていないが、WEBディレクター同士の互助を目的とした国際的な秘密結社が存在する。その名を「Fertile Fields of Packet(パケットの沃野)」といい、略称は“2FoP”。構成員は「空っぽの洞窟を埋める者たち」と呼ばれる。

それ以上のことは以前の記事を参照していただきたいが、この日本支部が「十字出社血盟団」であるとされる。少なくとも日本においてはこの結社がアメリカ並みのイノベーションを阻害し、自らの仕事があまり減らないように既得権益を守っているというのだ。

もちろんこれは、私の立場からすればwebディレクターに対する誹謗中傷としか言いようがない。なぜそうとしか言えないのかはお察しいただきたいのだが…。

しかし、十字出社血盟団の陰謀が事実でないにしても、アメリカがそうであるからwebディレクターが不要であるという主張には賛同しかねる。というのも、Google WaveについてGoogle自身が述べている内容に、webディレクター不在の問題点が言及されているのだ。
全文は引用元である「What is Google Wave (大雑把な訳)」を参照いただきたいのだが、

例えば こんな経験はないかな。

ウェブ担当にメールして、「新しい機能AとBとCを使えるようにしてくれないか?」

ウェブ担当からの返事「AとBとCがちゃんと動くようにしたらそうする。

ボスにもCCして状況が分かるようにしておいてよね」

君の返信「わかった これまでに見つけたバグのリストを送るよ」

返信「問題ないね 追加機能確認のパスワードを送るからチェックしておいて。

テーマも時間のあるときに確かめといてね 添付したよ」

それからこれを全部ビデオ担当にもフォワードしないといけないことに気付くんだ。

彼も状況をわかる必要があるから。

ビデオ担当はぐちゃぐちゃのメールをもらう。

これを解読するにはプログラマーがいるような状態。

おまけに返事を全員宛で返してくれないから、別のバージョンが出来てしまう。

ポストを追いかけて、問いと答えをマーカーで色分けして...と終わりがない。

全部がこんがらがるうちにモンスターが誕生。

Google Waveはこうした事態を解決するために作られたというのだ!一方日本ではwebディレクターを雇った。

お解りだろうが、上記引用文のような問題はまともなwebディレクターが一人いれば解決するのだ。おまけにwebディレクターは各職種の人がそれぞれの役目に集中するのを阻害する様々な雑事(プライベートを充実させる、忘年会の予約をする etc.)まで引き受けてくれる。特殊な性癖の人であれば、webディレクターはオフィースラヴの相手にだってなるかもしれない(Google Waveをそうした相手にするには、可愛らしい2次元の女の子か男の子の絵が必要なのは言うまでもない)。

webディレクターが居ないためにGoogle Waveという非常に斬新なプロダクトが生まれたという面もあるのだが、それはwebディレクターが悪いわけではないし、もちろん十字出社血盟団も関係ない。
自分の頭が弱いのか、早くも老化してきたのか、リアルタイム検索の使い道が今ひとつ思いつかない。っても、ちゃんと使い道を考えたことはないんだけれど。あとまあ、リアルタイム検索についてそんな詳しいわけでもない。ただ、パッと思いつかないというか。なので、以下、書くことで理解を多少なりとも深めたい気持ち。

この場合の「リアルタイム検索」は二つあって、「サービスとしてのリアルタイム検索」と「技術としてのリアルタイム検索」と。

・サービスとしてのリアルタイム検索
二つ三つのサイトを試してみたのだけれど、たとえば「Collecta」は検索開始直後からの結果が出てくるらしい。
もう一方で、「CrowdEye」はTwitter専用で、たぶんインデックス化がリアルタイムなんだと思う(違うかも)。

で、「CrowdEye」のような「インデックス化をリアルタイムでタイムラグなく行っている」というサービスの場合、そこが必要になる状況ってどんなのだろう。いや、「CrowdEye」は検索結果を時系列に並べたりとかもあるんだけど、それはリアルタイム検索とはちょっと関係ない気がする。

「Collecta」もそうで、検索したそのタイミング以降の結果を順次出していくっていうのは、どういうときに使うんだろうか?興味本位でキーワードを入れて眺める分には楽しいんだけれど、それ以外となると。

マーケティングとか分析に使うとか言っても、そんなリアルタイムで結果が追えなくてもなあ。多少のタイムラグあっても大丈夫じゃね?とは思う。どうせそういうのの結果を報告書とかにまとめるのって後日だろうし。あ、「Collecta」だったらイベント中にサイトとか会場でリアルタイム検索使って刻々と上がってくる情報を流す、とか?ニコ生よりは安定しているかもなあ。撮影しなくていいし。

いや、違うな。国内でこうしたサービスが立ち上がれば、イベントなり番組放送なりしているときに、サイトや会場なんかでTwitterや2ch実況版の書き込み、ブログの記事やニコ動のコメントなんかをまとめて表示させられるのか、な?

でもまあ、それくらいか。

・技術としてのリアルタイム検索
既存の検索サイトや組み込み型の検索機能なんかが機能強化の一環として勝手にデフォルトのインデックス化をリアルタイムにする分にはいいと思うのだが、たとえばこちらが意図的にリアルタイム検索を導入するような何かってあるだろうか。導入を検討するということは何らかの必要性があるって場合だろうけど、どんな必要性だろうか…。


思い返してみると、今でさえ(サイトによるけど)インデックス化のスピードには概ね問題ない気がしている。サイト運営上も一ユーザとしても、「ああ、インデックス化のスピードがもっと早ければ!」なんて感じたことはない。今後そう思うときが来るかもしれないが、「すでに充分早いので、これ以上早くなっても、まあ…」というのが今の個人的な感覚だ。

とはいえ、リアルタイム検索に価値がないとか言うつもりはない。あくまで「自分にはちょっと考えたくらいじゃ必要な場面が思い浮かばない」ってだけなので。ちゃんと考えればその有効な使い道を思いつけるかもしれない。それにほら、みんな大好きな「革命」「変革」「歴史的転換点」かもしれないし。よく知らないけど。

【余談】
なんとはなしに「941::blog」の過去記事を眺めていたら、2009年05月25日の「【6月2日(火)開催】居酒屋で「ディレクターの未来サミット」を開催します。参加者募集中!」という記事があった。
この中で

■俺が会ってみたい人
・泥臭い WEB の底から~ WEB ディレクター覚書~のハムカツさん
・ウェブライター流転記 のわかくささん

どうですか!

とあるのに気付いた。今さっき。

名指しで挙げていただけるのは大変に光栄なんだけれども、ブログに書いてくださってもなあ。まあ、上記記事を読んでない自分のせいかもしれないが、「941::blogの記事は全部読んでます!」って公言してるわけでもないんだが、とにもかくにもかえすがえすも見落としたのは残念だ。せっかくこのブログ右側の「プロフィール」の飛び先でメアド晒しているのに。って、普通はわざわざプロフページなんて見に行かないか。

というわけで、941さんがこのブログを読んでくれているかどうか存じないが、次にお誘いいただけるならぜひメールを頂戴できれば幸いです。

どうですか!
webディレクター業務を行うなかで、気付きにくい地味な落とし穴というのは多々ある。そういうのに限って、ハマるとこれまた地味にダメージが大きかったりする。そんな中でも特に地味なのを取り上げてみたい。

・AとBとCとの問題
「AはBである」「BはCである」「ゆえにAはCである」というもののうち、前二つが分かっているのに最後の一つがなぜか失念される状態。例えば「10/3は土曜日である」「明日は10/3である」までは分かっているのに、なぜか「ゆえに明日は土曜日である」が失念されている状態。

これはオーバーだけど(私はたまにやらかすが)、他にも
祝日注意報
という9/17の記事だと

今月は祝日が多くて広告のインプレッションが足らなくなったらしい。後ろのディレクターの席に広告担当の人が慌てふためいた様子でやってきて、なんとかして広告の露出を増やせだとか、そんな無茶なとか、なにやらしばらくがやがやと賑やかにしていた。

9月が30日しかなくて、しかも祝日が多いことなど、もう何年も前から決まってることじゃないのか。

というのがある。

これもたぶん
「休みが多いと広告のインプレッションが減る」「今月は休日が多い」まで解っているのに、「ゆれに今月は広告のインプレッションが減る」というのが失念されてたんじゃなかろうか。

余談だが上記記事に「どうして、体育会系と文系の作る経済はこうも非合理的なのだ。」という一文があって、そりゃ合理的な経済が作れないから体育会系とか文系にはならないだろ、と思ったり思わなかったり。私はずいぶん昔に美術系だったのだが、美術系はそもそも経済が作れない。

冗談はさておき。これは発生すると露見するまでなかなか気付かない類のものである。脳の認知ミスか何かなので、「目の錯覚」とか「偽記憶」くらい防ぐのは用意ではない。絵に描いたような「うっかり」なので、これが根絶できるならこの世に「うっかり」なんてなくなるだろう。

・ダイジョウブジャナイロボ問題
見出しは適当。
「大丈夫ですか?」→「大丈夫だよ」→大丈夫じゃなかった
という体験は誰しもあると思う。似たような例として
「大丈夫ですか?」→「大丈夫だよ」→大丈夫だった→「大丈夫だったな」→大丈夫じゃなくなってた
とか
「大丈夫だよな」→大丈夫じゃなかった
とかがある。

ただの怠慢で発生するケースもあるけれど、そうじゃない場合もある。怠慢じゃない場合、この3つはたぶん共通点があって、人間はときどき「自分で判断材料から無意識に推測した結論を事実と誤認する」ってことが起きるんじゃないだろうか。科学的な根拠はないのだが。
それが要するに「思い込み」ってやつなんだろうけれど、「AとBとCとの問題」と同様に脳の認知ミスか何かなので、一度それが起こると露見するまで気付きにくい。

防ぐ手として確認を徹底する、というのが考えられるけれど、最初のパターンはそもそも確認はしているわけだし、それを疑いだすと確認の意味がない。極端に言うと確認の確認の確認の…と続いて切りがない。


いずれの問題も自分なりに再発防止とか考えてた時期もあったけど、結局いまは完全に防ぐことなどできないと思うようになった。今風に言うと「ヒューマンエラー」の類なんだろうか。まあだったらどう、というものでもないけれど。

で、こうした問題の発生を事前に想定して防ぐというのはwebディレクターとしてそれはそれで立派な能力だけれど、むしろこうしたことが発生したときにうまく対処できる能力の方が重要な気はする。

他にもこういった「気付きにくい地味な落とし穴」について挙げたいと思っていたのだけれど、思い浮かばない。思い浮かばないからこそ「気付きにくい地味な」落とし穴なんだろう。今現在もなにかそうした穴にハマっているかもしれないが、それは露見するまで判らない。
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