泥臭いWEBの底から~WEBディレクター覚書~

WEBディレクターというのは何を考えておるのか。その一例。

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※前も似たような話を書いた気がするのだけれど、探しても見つけられなかった。

さて、webディレクターに求められるスキルはの話は様々あって、自分も「webディレクターの最小構成」というのを書いた。で、今日になってそれよりも重要で根本的な条件に気付いた。それは「日本語に堪能なこと」だ。これは絶対に欠かせない能力。「日本語」の部分はアメリカなら英語、インドならヒンディー語(もしくは何らかの公用語)、ブラジルならポルトガル語に置き換えられる。なので「その国の言葉に堪能なこと」と言い換えてもいい。

そもそも自分は、職務がこなせて指名手配犯だったり飛沫感染や空気感染する死亡率の高い病気を患ってたりしなければ、何人だろうが何歳だろうが、とにかくその人の属性はどうでもいい。ただ、webディレクターだけは「日本語に堪能」でなければどんな人であれダメだと思う。まあ堪能といっても人生の大半を日本で過ごせば自然と身に付く程度、英語で言うとネイティブレベルくらいなもんだ。

説明するまでも無いけれど、webディレクターは営業を除けば、最も言葉を使う職種だ。正確な指示や説明をするだけでなく、クライアントの言葉をなるべく先方の意図とズレないように理解したり、言外の機微をつかむ必要がある。
また、先方が言明しなくても「あれ?これってアイミツ取ってね?」とか「うち、このままじゃ切られるんじゃね?」ということが解るかどうかも大切だし、それはコールドリーディング的な能力に属すると思うんだけれど、その読解力には最低限、相手の属する国(日本なら日本)の文化的な違いから来る言い回しなりボディランゲージなり何なりを理解していないと、なかなか難しい。

まあ、コールドリーディング的な部分は「できれば」レベルだし、自分だってそこまで巧みではない。けれど、もっと基礎的な業務であれwebディレクターは「その国の言葉」がネイティブレベルでないと苦戦するし、周囲にも不要な迷惑をかける。というか混乱をもたらしてしまう。
だいたい、何かと兼任でないディレクターがいる場合、クライアントと制作スタッフ、あるいは制作スタッフ同士の中継役もディレクターが勤める。なので、そのディレクターが他のみんなが使っている言語を流暢に扱えなければコミュニケーションコストは増大し、情報は正しく伝わらず、などなどロクなことにならない。

というわけで、私だって日常生活をギリギリどうにか送るくらいの拙い英語は喋れないでもないし、たとえばアメリカに行ってしばらくすれば働き口を探せるくらいの英語力は身に付くかもしれない。だが、それでもちゃんと機能するwebディレクターにはなれないだろう。まあ、アメリカだと日本で言う「wwebディレクター」に相当する役職はないそうなのだけれど、あったとしてもちょっとやそっとの英語力ではどうにも双方にとって無理がある。海外でも、たとえば私なら、日系企業で日本語を使う人たちと仕事の上では日本語で遣り取りするってんなら別だけれど。

web制作における他の役職だって、それぞれの国の語学力が不要だとは思わないけれど、それよりwebディレクターは「最低限必要な語学レベル」が圧倒的に違うんじゃなかろうか。
まあ、そういうわけもあって日本でwebディレクターをする外国人だとか、外国でwebディレクターをする日本人ってのは他の役職、たとえばデザイナーなりプログラマなりネットワーク技術者なりより少ないんじゃないだろうか。あと、「クライアントと直接会わなきゃいけない」という点が解決されても、この言葉の壁があるからこそ、webディレクターは「海外へどんどんアウトソーシングが進む」という事態にはならないと思う。
そういう意味では、どの国であれwebディレクターやそれに相当する役職ってのは「とてもドメスティックな」職種だと思う。

まあ、だから何って話でもないんだけれど。
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本当は4月からwebディレクターになって日々絶望している人をさらに混乱させるべく何か書こうと思ったのだけれど、そもそもこのブログを読んでくれている人の中に新人webディレクターとかいないんじゃないか?という疑念が拭えなかったので中止。もしそういう人がいたら適宜過去ログを漁るか、livedoorやはてな、ペパボやカヤックあたりのスタッフさんが書いているブログを読んで鼓舞されるなり、現状との格差に絶望してください。

というわけで、「パーソナライズ」について思い付きのまま思い付いたことを書いてみる。なぜ「パーソナライズ」についてかと言えば、思いついたから(我ながら頭の悪い一文なのは解ってる)。

さて、技術的にハードルが高いせいもあって、一時期ほど盛んに喧伝されなくなった「パーソナライズ」「行動ターゲティング」(最初の成熟期に入ったせいかもしれない)。とはいえ「クラウド[*1]」と並んで、中長期的にはwebの大きな変化のカギとなっていくことは確かだと思う。特にコンバージョンに焦点を当てた場合、それがなんであれ効率化していけば「より興味関心を持ってくれる人」に情報を出すのがより効率的というもの。それがユーザ視点では「パーソナライズ」で、情報提供がわからすれば「行動ターゲティング」というわけだ。正しい定義はたぶん違うけれど。

で、こうやってパーソナライズの範囲と精度が上がっていくと、最初のうちはその人の興味関心にマッチしたものが出るのでユーザにしても提供者にしても便利で嬉しいものだろう。
ただ、どこかで「パーソナライズの範囲と精度が上がる」ことと「満足度・コンバージョンレート」が比例しなくなるんじゃないかと思う。自分が今までに興味関心を持ったり、反応したものに関連した情報ばかりになると、「なんとなく似たり寄ったりだなあ」という印象が強くなり、反応が鈍ると思うからだ。

でまあ、「過去の興味関心」から「新しい興味関心」を推測する方向性が出てくるだろう。「これこれに興味関心があるなら、これも興味関心を持ってくれるはず」を推測するわけだ。技術的な点はよく解らないが、同じものに興味関心を持っている人同士で、直接的にはあまり関連がなさそうなものを出すとか。膨大なデータを分析すればそういうことも可能そうで、「これも気に入るかも」的なレコメンド機能になるんじゃなかろうか。

Amazonの「これを買った人は~」というのは関連性がありすぎる気がするので、やや違う。もうちょっと関連性がなさそうな、それでいて遠すぎない、そういうバランスを調整して欲しい。それに「同じものを買った人だから」というのがリコメンドの理由として見えてしまっているのが「新しい興味関心」を喚起するには、やや見せ方として方向性が違う。むしろこれは「同じ好み、ニーズっぽい人が買ったんだから」というのを説得力の担保としているわけで、「新しい興味関心」とはちょっと違う。ユーザから見て意図不明なままリコメンドするのは悪いけれど、もっと、偶然の出会いを演出した方がいいんじゃなかろうか。

「偶然の出会い」というのはイメージ的にしっくりくる。といってもランダムに勧めてくるんじゃなくて、巧みに「偶然性」が演出された出会い。本当はパーソナライズに基づいて出会わされているんだけれど、それがあたかも偶然に見えるような。
「パーソナライズの範囲と精度が上がる」ことと「満足度・コンバージョンレート」が比例しなくなったとき、そうした「仕組まれた偶然の出会い」みたいなものをどれだけ上手く実装し、見せるか、が大きな役割を果たすようになると思う。

その段階になると、偶然の出会い以外にもサイトの制作や運営などに「演出家」という役職が出来ているような気がしないでもない。どういう体裁というかシナリオでどうユーザにサイトを提示するか?をプランニングする、まあプランナーの一種として。今もそういうことは多かれ少なかれ誰かがやってるわけだけど、それを専門にする人。

以上、全体的に根拠はない。

  1. いまだにクラウドがシンクライアントの亜種にしか思えないのは、自分の理解力が低いせいだろうか。騒がれようからするに、もっとなんか新しくて凄いモノのはずなんだが。[↩back]
ダメとは言うけど後でとか
というのを読んだ。
サイト制作の相談を受けた場合に、

「できる方法」と「よりよくする提案」とかをして、質問には答える。
「そんなもん成功するわけないし、コストのムダだろ」
という道を誤らせない批判もきちんと伝える必要があるのだが、それは前向きな話をした後に付け加えておく。

という話。

「やるな」という否定をせずにある程度は目を瞑ってもいいんじゃないのかね。

というのがたぶんこの話のキモなんだと思う。といっても上記記事の筆者が無責任だからというんではなく、

勝算が提案者にはあって、こちらではそれに気付けていないだけかもしれない。

という考えがあってのことだ。

でまあ、この手の「相談」というのは自分もときどき持ちかけてもらうことがある。タイミング的にここしばらくは減ったけど、まあ、ある。基本的には自分も上記のようなスタンスだ。

と、ちょっとここから話がとっ散らかってくる。

非IT系の人と話していてたまに言われるのが、「IT系の人って出来るかどうかとか、こっちが知りたいのは1点だけなのに延々と説明が続いて疲れる。結局できるのかできないのか、それだけでいいのに」ってこと。理解できなくはない。そういう人は確かにいる。なので、自分もそういう質問を受けたときはまず端的に「出来るかどうか」だけ答える。せいぜい質問内容によって「お金かければ」と付けるくらいか。しかしまあ最近では、お金かければたいていのことは実装できるからなあ。成功するかどうかは別として。でも、なぜか人によっては「できる=安くできる」って人もいるので「お金かければ」ってフレーズは外せない。

「よりよくする提案」をするかどうかは、相手との親しさによる。それなりに互いに信頼関係や付き合いの長さ、打ち解けた空気があれば「思い付き」ということで話すことはある。が、仕事の場合は提案しちゃうとある程度「成否」に責任も出てくるので、少し提案に慎重になる。でも、アイデアが浮かべば「思い付き」であることを強調して喋るけど。「ヤリましょう」で採用されれば仕事につながるし、ダメでもその程度なら別に損失ってほどでもないから。相手が予算的にギリギリだと提案とかできないけど。あと、強烈な値切りをしてくるクライアントにも提案とかしないなあ。前職でのことだけど。

聞いた瞬間に「それはダメだろう」という企画だって、自分も一概に否定はしない。それこそ「勝算が提案者にはあって、こちらではそれに気付けていない」という状況は往々にしてあるし、「実は大人の事情が絡んでいる」「実はコケてもこれこれの事情で話はついているので大丈夫」など、部外者には窺い知れない事情があるケースもあるし。「実は社長が発案した」とか。

で、思い出したのだけれど
IT系のベンチャー企業がキレイ事を言うのは、僕らがキレイ事を聞きたいから
というのを読んだ。「IT系ベンチャー企業の社長講演にキレイごとが多いのは~」という話で、まあIT界隈は純朴な人が多いので、汚い話は耐え難いんだろう。というのは冗談で、別にIT系じゃなくても社長講演ってそんなもんじゃないのか?先日もTVで森ビルの社長が喋ってたけど、なんか花畑みたいな話しかしてなかったよ。そこで急に「いや、あの土地はたまたま棚ボタで手に入りましてね。ウハウハですわ」とか言うわけない。っていうか、そんなこと言われたら本人以外みんなリアクションに困るだろう。「もうね、儲かっちゃってしょうがないんすわ」でさえ言わんだろう。というわけで、講演でぶっちゃけたダーティートークする社長とか、ITベンチャーに限らずそう多くはないと思うんだが。そんなことされたら社員ほか関係各社も困るだろうし。
なので、

「ベンチャー企業の社長」の講演がこのような「キレイ事」のオンパレードになったのは、自然とそのようになったのか、この講演を聞きに集まっている人が「そのような話を聞きたい」から、あえてそのように言ったのではないかと思う。

っていう結びは、それはそれでキレイ事のようにも思う。だからダメだとかいう話じゃなくて、IT系の人間はなんのかんの言って純朴なボーイズ&ガールズが多いということを無駄にカドが立たないよう穏当に書くのは難しいと思った次第。

で、話は戻る。ダメっぽい企画を相談された自分が中の人で、相手も中の人だったらどうか。この場合も否定はしない。あれこれ話をして最後に「ですが…」と言って表情を曇らせる程度だ。やられたことある人なら同意してもらえると思うのだけれど、相談相手が懸念顔になったり言葉を濁らせるのって、それだけで「反対はしないが、ちょっと心配だ」というのを伝えるのに効果がある。少なくとも相手が紫式部なら絶対にこれだけで色々と汲み取ってもらえる。どうでもいいけど、枕草子と紫式部日記を斜め読みした感じでは、紫式部の方が自分は解り合えるんじゃないかと思う。

この行動の眼目としては相手に「このままではダメで、何か解決すべきこと、考えを深めるべきことがあるんじゃないか?」と思ってもらうことにある。それが何か、こっちにも解らない時だってあるけど。あでも、立場が下の人にこれやると事実上反対したも同然になるので、同僚か上の人に対してのみ、ね。
例えば1年後にユーザ数が100万人になるとしたら、半年後の時点のユーザ数は50万じゃなくて1000だよな?(副題:プラクティカル指数・対数)
という記事を読んだ。
nowaが最初に

一日の登録数約2000人 x 240日 = 48万人

という計算をしていたそうで、リリース後8ヶ月で約50万人の会員を目標にしていたらしい。それで

定率増加は指数的な爆発を生むけど、定数増加は生まない。

という話から

ユーザ数が増えれば増えるほど、サービスを知っているひとが増えれば増えるほど、登録者数も比例して増える、というメカニズムを作り込むことが、サービスを急成長させるための鍵になる。

となって

ユーザを呼び込むための施策を考えるときには,それが定数増加ではなく定率増加モデルになっているかどうかを頭の片隅においておくべきだと思う。

となる。ちなみに「定数増加」は一定の数ずつ増えていくこと。「定率増加」は一定の倍数で増えていくこと。
上記記事の真ん中辺にあるグラフを見ると具体的にイメージしやすい。あと、引用してない部分にも色々と有用なことが書いてあってお勧めです。

実際のリリース後にどういう増え方をするか、どう増やそうとするか?という中で定率増加が起きるのは別に構わない。伸び方が爆発するのはいいことだ。

ただしリリース前というか、企画段階で「定率増加」を念頭におくという提言はちょっとカンベンな、とも思う。
というのも簡単な話で、ユーザの増え方を企画段階で予測するさい、「定率増加」にしてしまうと、どこかの時点で増え方が爆発することについて、それなりに説得力のある根拠を示す必要が出てくるからだ。
すでにあるモノへ新しく何かを追加する企画ならまだしも、全くの新規企画の場合、ただでさえ通すのは難しく、考えることは多い。そこへさらに増え方が爆発する根拠を考えるというのは、企画立案のハードルを上げるばかりだ。「爆発的な成長」というのは、そもそも狙うのが難しいものだし。まあ、ハードルを上げたいならそれはそれでいいけど。

それに「定率増加」の場合、最初のうちはユーザの増え方が緩やかだ。なので最初のうちは目標値をクリアしやすく、それが順調な推移なのか、何かマズいので増え方がゆっくりなのか、爆発する時期に差し掛かるまではハッキリしないというのも難点だ。いざ「爆発する」予定の次期になっても相変わらずだと、挽回が難しい。

ということをつらつら考えるに、そもそも「定数」だろうが「定率」だろうが、一定の増え方という考え方自体がやや危うい。
自分なら下図のように、目標値へ向けて増え方が変動するような絵を描くだろう。それぞれ伸びが急増する時期は、その手前でプロモーションなりなんなり、重要施策を行うシナリオで。まあ普通のあしらいだと思うけれど。
サンプルイメージ

ちなみに、上記記事は企画立案にあたって「定率増加で描く」ことを勧めるのではなく、定数増加で考えている人に対して別の見方を提供することが眼目だろうから、非現実的だのなんだのとあげつらうつもりはない。


にしても立ち上げ8ヶ月で50万人とか、さすがにライブドアくらいになるとスケール感が違うなあ。
YahooのGyaO買収というニュースを見て、自分には何の関係もないな、と思いはしたものの、連鎖的にYoutubeの経営が相変わらず天上知らずな赤字であることが思い浮かんだ。そこからさらに連想の線が延びて、動画サイトが広告収入での運営に不向きなわけを思い出した。基本的なことなので「思いついた」というよりは「思い出した」という感じだ。以下、せっかくなので並べてみる。

・滞在時間あたりの広告接触数が少ない
サイトのヘッダエリアなりサイトエリアなりに広告を掲載しても、動画は1コンテンツを消費するのに掛かる時間が平均してテキストコンテンツよりも長いため、同じ滞在時間であっても他のサイトに比べて、動画サイトは滞在中に接する広告の本数が少ない。それだけ、収益を上げる機会が少ないということだ。ページを移動せずとも一定時間ごとに広告を入れ替えることは可能だが、3番目の理由により動画サイトの場合その効果は薄い。

・動画内広告は1ユーザあたりの広告露出効率が悪い
現在、動画に広告を入れている場合、表示できるのはせいぜい動画の開始と終了時の2回くらいだ。つまり、広告を表示して収益を上げる機会が2回しかない。TVのように、短くても1動画30分くらいの尺があれば途中で広告を表示する機会が何度もあるけれど、ネット上の動画はおおむねそこまで長くないので、それは難しい(これまでの経緯があるので、長くても途中で広告を挟むのは難しいけれど)。というわけで、広告枠を売るにしても、1動画あたりの売れる枠数が少ない。
一方で、TVだと同じ地域の異なるユーザに同じ番組で異なるCMを流すことはできないが、動画サイトなら可能である。とはいえ、1ユーザが1動画ごとに見る広告の数や時間は少ないままなので、1ユーザからもたらされる広告収益はTV番組より効率が悪い。日本だと30分のTV番組なら、1視聴者から20本超の広告収益を得る機会がもたらされるが、動画サイトだとせいぜい2~4本くらいだろう。もっとも大規模な動画サイトの方がTVより累計の広告再生時間がずっと多いはずなので、それによって何がしかこの弱みがカバーされていることは考えられるが。

・動画内広告は誘導力が弱い
動画自体がバイラル広告を目論んだものならともかく、基本的に動画内広告はクライアントサイトへの誘導力が弱い。開始時に流れた動画に記載されたサイトへ飛ぼうにも、観終わった後だとそのサイトのリンクはないし、観る前だと再生中の動画を止めてまで、という気にはなれない。結局、動画で広告を見せ、さらにサイトへ誘導した場合はプレイヤーの周辺にテキストなりバナーなりといった「補助輪」で誘導口を設けることになる。

・ページ内を視線が動きにくい
テキストコンテンツであれば、読んでいる途中でよそ見をして、また続きから読むことは簡単にできる。意識しないでもできる。一方で動画の場合、視聴の最中によそ見をすると、その間に肝心の動画が進んでしまう。これを避けるには一時停止をするか、目をそらしたところまで戻る必要がある。が、実際にはそこまでしてよそ見はしない。
というわけで、他のコンテンツ以上に動画はよそ見されにくいと言える。

とまあ、上手く説明できてない気がするが、おおむね上記の4点により、動画サイトは単純な広告で収入を得るのに向いてない。コンテンツマッチング広告であっても、他のサイトがコンテンツマッチング広告を行う場合に比べれば、やはり効率は悪い気がする。

とはいえ、向いてなければやらなきゃいい、というわけにもいかないので、大手動画配信サイトはどこも苦闘しているわけですね。支出がハンパないので、その深刻さもハンパないです。大変ですなあ。
4月とはいえ、東京は寒の戻りで肌寒い日が続く毎日。サクラもつぼみが膨らんだまま、なかなか咲かない状態が続いています。でも、こうやってじれったく思うからこそ、咲いたときの感動も大きくなるんじゃないかな、なんて思っています。

さて今日は4月1日、エイプリルフールですね。いろいろなサイトで工夫を凝らしたネタが披露されています。ただ、やりすぎは禁物。さっきも運営しているサイトのシステム担当者から「深夜0時過ぎくらいから決済DBを積んだサーバが落ちてる」なんてメールが来てましたが、冗談にしては心臓に悪いですよね。とりあえず今、「エイプリルフールのジョークでした!」というメールが届くのを待ちつつ、いろんなサイトのエイプリルフール企画を楽しんでいます。
念のためメールの来てたサイトを確認してもいいかな、と思ってはいるんですが、なかなか気が乗らなくって……。ちょっとした作業って、どうしてこう面倒に感じるんでしょうね?わたしのデスクの電話もさっきから鳴りっぱなしなんですが、出るのが億劫でついつい放置しています。

というわけで心機一転!今年度も引き続きwebディレクションという観点からいろいろな話をしてみたい、少し前に通いだした珠算教室の話もしてみたい!などなどあれこれ企画していますので、引き続きよろしくお願いします♪




というわけでエイプリルフールネタを考えてみたのですが、こうですか!? わかりません!
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