泥臭いWEBの底から~WEBディレクター覚書~

WEBディレクターというのは何を考えておるのか。その一例。

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3年後のWebディレクターを目指し考える時期が来ました。
という記事を読んだ。以下、読んで思ったことをまとまらないながらも書いてみたい。意図もオチもないけれど。

どんな職種でもそうだろうけれど、企業なりその他の法人なりからの収益が主な企業は、どういうクライアントやどういう業界と取引しているかで求められるものや必要なものがずいぶんと違ってくる。特にwebの場合は取引先のジャンルが多岐に渡っているので、その違いが大きいんじゃないだろうか。たとえば、ECサイトの制作を主にしている会社と、医療系サイトの制作を主にしている会社とでは、ずいぶん違うはずだ。まあ、つまり完全にとは言わないまでもニーズが違うから。なので、名村さんが上記記事のようなことを考えたのも、付き合いのある業種や企業規模のクライアントのニーズから導き出されてるのではないかと思う。妥当な見解かは自信ないけど。(実際にどうかは知らないが、実績紹介のページでは不動産関連が多い、のかな?)。あと、名村さんのこれまでの実績や知名度、能力や置かれている状況も関係しているはずだ。
でまあ、だから上記記事で語られていることが自分にもあてはまるのかどうか、今ひとつ分からない。さて、どうなんだろうか。

まず、名村さんの話を大まかにまとめてみる。

・これまでのWebディレクターのあり方では、なかなか自分の賃金には返ってくることは無くなってくるだろう
・今は人間がやっているけど機械的に出来る部分と、「人間がやらなくてはならない部分」は今よりもっともっと分かれてくるだろう
 →その時に、制作会社がクライアントからお金をもらえる部分というのは、今やっているような事ではなくなってくるだろう
・「Webらしいなぁ」というモノが、これから3年間、急激に求められてくるのではないかな?
  ↓
・制作するサイトの目的によって「コストを抑える」「かけたコストを超える見返りが期待できるのであれば、極論で言えば予算はいくらでもだしてもらえる」が違ってくる
 →「存在することに意味のあるサイトを作る方に回るのか、その中身が醸し出すものに意味があるものを作る側に回れるのか」が一つの答えかも
  ↓
 前者でいる限り、製造業としての限界がいつか出てきて、数をこなす事でしか売り上げをあげにくくなってくると思います。
一方で、Web制作に携わっていてWebらしさが分かっている人が、マスメディアではないWebによるWebらしいコンテンツを生み出せる人、もしくはチームや仲間から引き出すことで生み出させることが出来る人、というのが、これから必要になってくるのだと思います。


さて、妥当なまとめになったことを期待しつつ、ようやく本題に入る。自分の立場から、上記の話について考えたこと。

・これまでのWebディレクターのあり方では、なかなか自分の賃金には返ってくることは無くなってくるだろう
・今は人間がやっているけど機械的に出来る部分と、「人間がやらなくてはならない部分」は今よりもっともっと分かれてくるだろう
 →その時に、制作会社がクライアントからお金をもらえる部分というのは、今やっているような事ではなくなってくるだろう

これについては、話の流れがピンと来なかった。自分のまとめ方と理解が悪いのだろうか。
最初の点については、賃金体系に依存する部分が大きいように思う。たとえば年俸制や成果主義の場合、webディレクターの仕事は最終的なサイトにおいて、「企画」以外の部分で目に見えるものがないので、立ち上げの部分を主に担当したディレクターの評価はなかなかされにくいように思う。運用であればディレクターの施策が目的に対してどの程度貢献したかを測りやすいので、たとえば既存のあり方を洗練していくことで評価と賃金の向上は見込める気がする。まあ、上記記事にも書かれているし、このブログや他のブログにも書かれているようにwebディレクターの仕事は千差万別なので、一概には言えないが。

で、2番目については、それだけ抜き出してみれば違和感ないのだけれど、webディレクターの仕事について書かれた流れの中では、やっぱりピンと来ない。
名村さんが実際にどういった仕事をされているのか知らないのだけれど、自分がやっている仕事(というか、自分がwebディレクターの仕事だと思っているもの)って、デザインやテキストライティングと同様に、web制作においては最も機械化しにくい部分なんじゃないかと思っている。タスク管理ぐらいはもうちょっと機械化できたとしても、そのタスクの締め切りを守ってもらったり、オーバーした場合の対処を考えたりするのは、やっぱり超長期的にでも考えないと機械化は無理だろう。クライアントも含めてプロジェクト関係各位をなだめたりすかしたり、利害を調整するのだってそうだ。見積りは機械化できて欲しいが、そこで算出される額を調整する必要があるときは、やはり人の手が必要だろう。そして、そういう仕事でデザイナーやら他の制作スタッフを煩わせるわけにもいかない。営業さんには任せたいけど。

「その時に~なくなってくるだろう」ってのはおそらく製造業全体の課題でもあって、市場がある程度成熟してくると単価が下がるので、いかに魅力的で説得的な高付加価値を生み出していくか?というのが課題として大きくなってくる。WBSなんかで出てくる町工場が独自技術やら新製品開発に励んでいるのも似たような事情だろう。この辺の話が上記記事では次以降の内容になってくる。

・「Webらしいなぁ」というモノが、これから3年間、急激に求められてくるのではないかな?
  ↓
・制作するサイトの目的によって「コストを抑える」「かけたコストを超える見返りが期待できるのであれば、極論で言えば予算はいくらでもだしてもらえる」が違ってくる
 →「存在することに意味のあるサイトを作る方に回るのか、その中身が醸し出すものに意味があるものを作る側に回れるのか」が一つの答えかも

「Webらしいなぁ」の中身が具体的にどういうものか分からなかったし、3年間という数字も根拠があるのか「今後数年」程度の意味なのか分からないが、「求められてくる」かどうかは本当にこれはもう、どういう業界のどういうクライアントと付き合っているか?に拠ると思う。私は少し前まで、BtoBで専門性の高い企業のサイト構築をする機会が比較的多かった。扱っている商材は実験器具とか病院相手の医療系資材とか。
そういう、いわゆる「ビジターが仕事でアクセスする」サイトの場合、たとえばユニクロックみたいな企画ではてなやらYAHOO!ニュースやらで話題になってもしょうがない。無意味ではないけど、クライアントが求め、評価するのはそこじゃない。要はニーズがなかった。ニーズを作れなかったこちらの力不足もあったのだろうけど、それにしてもこうした企業のサイトは情報の整理分類や見せ方、サイトのユーザビリティや基本的な見栄えなど、「Webらしいとか、それ以前の問題」の方が多かったのだ。

コンシューマ向けのサイトにしても、「Webらしさ」が求められるかどうかはクライアント側の(少なくとも担当者の)Webに対する理解が欠かせない。頼む側からすれば、よっぽど「おまかせ」という気でもない限り、感覚的によく分からないものを発注するのは難しい。そこをいかに納得してもらうか?もディレクターの腕の見せ所なんだろうけれど、悲しいかな、私のように凡庸なwebディレクターは、そこまでの工数が投入できない/投入できる工数でそこまで実現できない。担当者が納得してくれたとしても、その上司など決裁権のある人々を担当者が納得させられるかどうかも大きなファクターだ。

・制作するサイトの目的によって「コストを抑える」「かけたコストを超える見返りが期待できるのであれば、極論で言えば予算はいくらでもだしてもらえる」が違ってくる

これもクライアント次第で、「かけたコストを超える見返りが期待できるのであれば、極論で言えば予算はいくらでもだしたいのだが、実際には物理的にそこまで予算を持ってない」というケースも多い。というか、自分が仕事をさせていただいたクライアントの大半は「予算これだけしかないんだけど、やれる範囲でいいからどうにかしてくれないだろうか」という感じだ(「予算はこれだけしかない」「これをやって欲しい」が乖離していて「予算によってできることが変わってくる」ということをなかなか受け入れていただけないクライアントも居た。これにはさすがに泣いた)。コストを抑えるために「予算がないフリ」をするクライアントがいないとは限らない。けれど、クライアント側からすると予算の都合でずいぶん色々なものを諦めざるを得ないケースがままあったので、私が仕事をさせていただいたクライアントは、そいういうわけでもないのだろう。

ああ、もちろん「かけたコストを超える見返りが期待できるのであれば、極論で言えば予算はいくらでもだしてもらえる」というクライアントもいた。

で、自分の話としてはココがキモなんだけれど、
「存在することに意味のあるサイトを作る方に回るのか、その中身が醸し出すものに意味があるものを作る側に回れるのか」が一つの答えかも
ってのは結局、単純な製造業からの脱却ということなんだろうな、と。それが一つの答えかもしれない、と。私の勘違いかもしれないが。

考えてみればこれは新しい問題意識でもなければ、新しい道筋でもなく、昔からある製造業では長らく示されてきたものだ。その意味で、この見解は実にまっとうだろう。こうした問題意識に対するほかの製造業での答えが「独自技術」「高付加価値」であって、web制作であればコンサルなりプランニングなり、プロモーションなりになるのだろう。独自技術でもいいけれど。そういや日本のweb制作会社で「これが作れるのは世界でもウチだけです」って聞いたことないな。まあ、海外の制作会社でも聞いた記憶ないけど。まあ、無理があるよな。

製造から手を引いて、そこに特化する手もあるが、その先には従来のweb関連のコンサル会社やプランニング会社、プロモーション会社との競争が待っている。レッドオーシャンからレッドオーシャンへ、というか。

別の方向性としてコンテンツ調達力を伸ばす、というのも考えられる。まあ、これについてはまた書く。やや長くなると思うので。たぶん。

でまあ、自分が3年後にどういうwebディレクターを目指すかもついでに。興味のある人がいるとも思えないけれど。
簡潔に言ってしまうと、私はまだ名村さんのような課題に直面するほどのステージに至っていない。だからといって放っておいていいことではないのだけれど、それより先に基本的なディレクションスキルをまだまだ磨く必要がある。付加価値とかはそうした基礎がある程度しっかりしてから取り組むべきなんだろうな、と思っている。

自分を取り巻く環境について懸念している点としては、webそのものよりもむしろ景気とか経済環境の方だ。webでの直接収益がそれなりに大きい企業でもない限り、今後経済が大幅に後退すればweb関連の支出は減るだろうから。そして自分のクライアントはwebが直接収益になっていない、ならない企業の方が多い。「景気が悪いときほど売るために広告や販促にお金をかける」という話もあるようだけれど、そんな段階さえ超えてしまうことだってあるかもしれない。経済について詳しいわけでもないので、杞憂なのかどうかも判らない。マンションは今買うのがいいのかどうかも判らない。まあ、買えないけど。

【余談】
こんだけダラダラ書いて、まだ余談もあるのかよ!ということで。ええ。あります。

参照元の名村さんの記事で
日本の企業の中でも、制作コストが低い海外に、制作部分を投げ始めている所がある。
という指摘があって、そういう所があるのは確かだろうけれど、今のままでは限定的な動きに留まるだろうと思った。というのも、まだまだ多くの企業では外国語ができる人は「普通」というほど多くないし、そうした人がweb担当者であるケースはもっと少ない。そうなると人件費や制作費の安い国にweb制作を投げるのは無理がある。仕事上の遣り取りや修正指示、指示ほど明確じゃないにしても「何をどうして欲しい」かを説明できないからだ。そもそも、見も知らぬ海外の制作会社から1社を選んで発注するのは、国内で見も知らぬ制作会社から発注先を選ぶよりも難しい。

というわけでこうした流れが本格化するには、海外の安いweb制作会社と日本企業の間に入るコーディネート的な職種か、それこそ「外注先が海外の安いところ」というのを売りにしたwebディレクションの部署なり企業なりがそれなりの数出てくる必要があるんじゃないか。

ああ、安かろう悪かろうという意味でなくweb制作費が安い国ってどこなんだろう。やっぱり人件費的に東南アジアや南米なんだろうか。いや、南米はもう安くないのか?ベトナムとか?デザインまで発注する場合、そうした国のデザインが日本人ウケするかどうかとかもポイントになるのだろうか。

完全に無根拠けれど、中小企業でweb制作を海外に投げてるところって、現状では中国に営業所や支社があるとか、たまたま日本の社内にに海外から出稼ぎに来た人がいるとか、そういうケースが多い気がする。
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受注案件を効率的に遂行するチーム作り」という記事を読んだ。この記事ではディレクターが必要な情報を各担当者に割り振る「ディレクター中心型」と、ディレクターはまとめ役に徹し、情報の把握と理解は各スタッフがやる「ディレクターはまとめ役型」の二つの体制についてメリットとデメリットとを上げている。「ディレクター中心型」が受注案件に対する体勢としては一般的だろう。上記記事ではその体制で生じる問題点の解決案として「ディレクターはまとめ役型」が提示されている。

分かりやすく書かれており、同じような問題を抱えているディレクターにとっては役立つこともあるだろう。が、「ディレクターはまとめ役型」は上記記事の「注意点」で上がっていること以外にも、考えておくべき課題がある。

上記記事で提示される「ディレクターはまとめ役型」というソリューションは結局のところ、webディレクターの仕事の一部を他の制作スタッフに分担してもらうことに他ならない。そのため、制作スタッフからすれば以下のように見えるだろう。

・インプットの増大
 →今までよりも自分のところへ来る情報量が増える
・取捨選択の発生
 →上記に関係しているが、今までは自分に必要な情報だけがディレクターから届けられていたのに、今度は自分にとって本当に必要な情報かどうかを取捨選択しなければいけない。見落とさないか、見落とした場合は自分にも責任がある、などの心理的な負担も増える

また、

・自分に直接関係ない情報だと判った時点で、その情報を見るのを止める

という反応だって往々にしてあるだろうから、ヘタをすると「密に情報共有してますよ」という体裁だけで、実際は相変わらず各担当者にあらためてディレクターがアテンションしなければならないという事態にもなりかねない。

さらにディレクターからすれば

・各スタッフがそれぞれに必要な情報をちゃんと受け取ってくれている

という点に自信が持てないと、なかなか難しい。出ないと結局は不安に負けて、自分からもアテンションを出してしまうだろう。

この辺はディレクターが各制作スタッフに「共有される情報へ積極的に注意しよう」という気を起こさせられるかどうかが成否を分けるポイントになるだろう。上記記事にある「自由な発言云々」以前に。

一つの案件の作業分野に複数の担当者がアサインされている場合(プログラミングを担当しているプログラマが複数いるとか、デザインを担当しているデザイナが複数いるとか)ならば、「ディレクターはまとめ役型」の効果を比較的ラクに最大化できるかもしれない。

下種の勘繰りになってしまうが、「ディレクターはまとめ役型」ってのはwebディレクターが業務として追うべき努力義務の一つである「必要な情報を必要な人に確実に伝える」という部分を怠っているように見えなくもない。たぶん簡単にエッセンスだけが書かれているので、私が誤解しているのだろうけど。

あとまあ、「ディレクター中心型」でMLを活用したりCCで同報をマメにしたりするのに比べ、どこが大きく優れているのかをもっと聞きたかった。

うーん。「受注案件を効率的に遂行するチーム作り」という記事がなかなか良いと思って少し補足的なことを書こうとしただけなのに、ずいぶんネガティブな論調になってしまった。「だからダメだ」ではなく「こういう点も課題として考えておくと成功率がアップしそう」ってことが言いたかったんだが。「ディレクターはまとめ役型」という手法そのものは、決して悪くないと思うんだけどなあ。ああ、悪いのは私の性根の方か。
「そうだ!芸能人だ!」企画に困ったときや、サイトにイメージパーソンが欲しいとき、頭に浮かぶこの案。さて、実現に向けて何に注意すればいいのか。ちょっと書いてみる。なお、ココで言う芸能人とはミュージシャンやモデル、声優も含め、おおむねプロダクションに所属している人を念頭に置く。

・誰を?
お金さえあれば、そして胡散臭いサイトなんかでなければ、だいたいの人をアサインすることができる。ただ多くの場合、予算は潤沢でない。というわけで、「今はそこまで有名じゃないけど、今後出てきそうな人」という「将来性」を考慮した人選が必要になる。場合によっては上司のツテなんかでプロダクションが決まってしまうケースもあるだろう。

・いくらで?
これはプロダクションとの交渉になる。今までそういった所とつながりのない会社だろうが、そこまで知名度のない会社だろうが、正規窓口から問い合わせれば相手をしてくれる可能性はある。まあ、運が悪くなければ。
あと、「ハガキ代」だけで新規ユーザを獲得する方法という記事では

本特集にご参加いただいたのは、石原さとみさんのほか、北乃きいさん、アーティストのPUFFYさん、谷村奈南さんら著名人83組。
皆さん、芸能界・音楽業界で活躍されている方々ばかりですが、インタビューページに PR 枠を設置し、プロモーションのお手伝いをさせていただくことで、今回は全て“ノーギャラ”でお願いしました。

と書いてあるけれど、PR枠を設置しようが、プロモーションを手伝うと言おうが、普通はそれでも支払いを求められる。相手方のプロダクションがよほど媒体価値を感じてくれているか、親密な関係が構築できているか、何か大人の事情が存在するかでもない限り、トレードオフによるノーギャラは期待しないほうがいい。

・何をする?
ちょいと写真を使うだけなら、撮影のみで済む。まとめ撮りして小出しに使うのが比較的安上がり。「芸能人ブログ」みたいに何か書いてもらうなら、いくつかのケースが考えられる。

◆本人が書く
これが一番いいのだけれど、残念ながら、常に本人が書いているとは限らない。本人が書いていない場合、理由としては「予算の関係」「スケジュールの関係」「文章力の関係」が主だ。本人に書いてもらうと当然ながら支払額は増える。また、忙しすぎて書いてもらえないケースも。本人が書く気でも、文章や内容が「読むに耐えない」ケースがある。もっともブログ隆盛のためか社会的な流れのためか、最近では本人自信で書いているケースが増えている。まあ、こういうのは「本人が書いているかどうか」が一番大事で、「そのうえ面白ければラッキー」くらいのものという見方もできる。ただし連載記事的なものだと、ある程度まとまった文章と内容が必要なため、クオリティは無視できない。

◆インタビューから書く
これは本人が書いている体裁ではあっても、実際にはインタビューした内容を元に文章を起こしているケース。口述筆記に近い。特に忙しい人なんかだと、こうでもしないと締め切りに間に合わなかったり。

◆ゴーストが書く
要は「名義貸し」で、実際はゴーストライターがネタを決めて文章を書く。

◆その他
おおむね書いてもらってリライトとか、アンケートを書いてもらってそれを基に…とか、他にも色々とやりようはある。

・掲載、その前に
写真であれ文章であれ、こっちが金を払ったんであれなんであれ、せんぽうから提供されたものであれこちらで作成したものであれ、掲載にあたっては「最終的にこうなる」というものをプロダクションに提出し、チェックしてもらうことになる。写真なんかだとデジカメなら撮ったその場でモニタにつないだり液晶ビューアで見てもらったりして、どれを使っていいか選んでもらうこともある。「こっちが金払ってんだから」とか「向こうがくれた素材なんだから」という考えは“通用しません”。

と、ここまでツラツラと書いてきたようなステップを経て、はじめて芸能人を起用した企画は公開に至るわけです。必ずこうなる、というわけではないけれど、踏まえておいて損はない話。

以下おまけ。ベストケースの一例としては…

デビューしたての対して人気も知名度もないアイドルを起用。写真だけでなく企画やインタビューなどで、継続的に起用する。
徐々に人気が出て、ある日「たまたま」ブレイクする。「次はこの娘でいくから」みたいな営業努力の結果ではなく。
もちろん、彼女のブログにはこちらのサイトへのリンクがあり、過去の日記ではそれ関連の言及も頻繁にある。
撮影の立会いなどでこちらは面識があるどころか、まだ素人に毛が生えた程度の相手と普通に話をしたり愚痴を聞いたりしてきた。
というような経緯があるので、売れても無碍にはされない。どころか上手くタイアップしやすい状況になる。

夢でもないと起きなさそうな展開だが、実際にこんなようなケースになったweb担当者を知っている。もちろん自分ではない。あと、予算がなくて起用した知名度の低いミュージシャンが、数カ月後にCMタイアップに抜擢されて大勝利!みたいなケースも身近にあった。これも自分でないのが残念だけれど。
このブログではときどき実務に対するハウツー以外の話をしていきたいと思っているのだけれど、そもそもwebディレクションの実務で「基本的なこと」というのはそんなに多くない。一方で少しでも基本を離れると「ケースバイケース」「個別対応で」ということになり、一般化しにくくなる。せいぜい「ケーススタディの集積」くらいか。
というわけで、今のところ「実務に対するハウツー以外の話」のネタがだんだん尽きてきた。

というわけで、今回は「企画」について漫然と書いてみる。

上司を説得できる企画資料の作り方講座

というシリーズがはじまった。「有効な」企画書の作り方を解説するという趣旨のようだ。「はじめに」にて企画書とは

自分が立案したものを表現して、それを人に納得させ、実現させるためのツール

だと定義されている。これはもっともな話で、そもそも企画書作りとはお店を出す際に土地や店舗を準備するようなもので、スタートラインに立つためにすることだ。

だいたい企画というのは立てるよりも実現する方が遥かに難しい。仮に何らかの点で「いい企画」を思いついたとしても、それが「いい」ということを決定権を持つ人々に理解してもらい、場合によってはそのために予算や人員を獲得し、さらには目標とする日限までに実装しなければならない。素晴らしい商売を思いつくよりも、実際にそれを商品化したり販路を確保する方がずっと難しいというのに似ている。こうやって「お店」とか「商品」に例えると言うまでもないくらいに当然のことが、なぜかwebになると失念されているケースをたまに見る。

上記記事でも

最初に知っておいてほしいことは、良い企画とは実現まで至ったもののこと

と書かれている。これも当然のことで、自分では「いい企画かどうか最大条件は実現されること」と表現している。このブログで企画についてあまり書かないのもそのためで、企画を立てること自体はそんなに難しくないし、極論してしまえば重要でもない。難しかったり重要だったりするのは、それを「実現」、しかも「どう実現するか」の方だからだ。これは体系化しにくい。それこそ変数が多いので「こうするといい」というのはない。結果的に「このケースではこうすると上手くいった」くらいしか言いようがない。

その意味で、上記記事があくまで「企画資料の作り方」にマトを絞っているのは誠実でもあり、不誠実でもある。企画資料の作り方はある程度一般化して説明することができるが、たとえば「上司を説得できる企画実現講座」というのは一般化したり説明するのがむずかしい。
不誠実だと思うのは、「企画資料」が必ずしも上司を説得できる要因になるとは限らないからだ。仮に上記記事の基準で「いい企画資料」が作れたとしても、「プレゼンが下手すぎる」「社内的な立場が弱すぎる」「上司とソリが合わない」「上司にそのプロジェクトへの熱意がない」他、さまざまな理由で「説得に失敗」というのは起こるからだ。上司じゃなくてもいいけど。

というわけでタイトルとしては最悪の部類だけれど、実際には上記講座は「それのせいで上司の説得に失敗しない企画資料の作り方講座」と言う方が正しいだろう。まあ、誰もがわかることを得意げに指摘しているだけなわけだが。

企画を考えるのは、実際それほど難しくない。特に「面白い」企画は普段企画を立てたりしない人でも往々にして思いつく。ただ、「種類を問わず面白い」企画だけが求められるケースは、仕事の上では少ない。実際にはもっと別のもの(たとえば会員登録や資料請求、アクティブ率の活性化やブランディングなど)が求められていたり、面白さにしても「どういう面白さか」が限定されている場合が多い。そしてそうした要件を踏まえて有効性のある企画というのは、それなりに立案が難しい。
余談だが、CGMコンテンツが受け手にとっても楽しめるものが多く、「やっぱ素人じゃダメだね」とならない理由はこの辺にもあるんじゃないだろうか。、CGMコンテンツの場合、コンテンツの企画(ネタ)に、普通は特に要件がないから。ちょっと違うだろうか。

「Googleストリートビュー」も、アイデアとしては先に同様のものがあり、具体的なUI部分などの実装面でもそれらに比してズバ抜けてるわけではないので、Googleの企画発想力が凄いというわけではない。ただ、先行者が挫折したりなかなか規模拡大できない理由である資金と手間の部分を乗り越えたという意味で、その技術力や資金力の凄さはある。Googleマップに統合する形になっている点は他よりも使いやすさを大幅に向上させているが、それもGoogleマップを持っているという「地の利」と、あのマップの高性能さという技術力に拠っている。企画力とは違う。まあ、誰も「Googleの企画力は凄い」とか言ってないけどさ。

さて、立ち返って上記記事の第一回について。ここではダメな企画書の例を挙げ、最低限おさえないといけない情報を列挙し、それに基づいて「いい企画書」に改良したものを示している。ちょっと補足するなら、上記記事の例のように1ページにまとめるのがいとは限らない。文字を読むのが面倒だとか、こちらの企画に付き合う意欲が薄いだとか、とにかく時間がないといった上司を相手にする場合は、各要素ごとで1ページにして、全体を「現状分析」「現状まとめ」「課題」「施策」「目標」に分けてもいいかもしれない。また、上記記事の例だと場合によっては施策を「平均ページビュー増加のため」と「直帰率低下のため」の二つに分けたり、それをさらに「施策内容・アクションプラン」ごとに書いてもいい。
また、この企画書を持った上司がさらに別の人のところへ話をしに行く場合が想定されるなら、施策内容やアクションプランについて、もう少し具体的な案を書き加えた方がいいだろう。例えば「新製品に依存されない情報発信」とあるが、その情報発信として何をやるかの案など。

そう考えると、「企画資料」と書いて「企画書」と書かなかったことにも意味があるのかもしれない。今回の記事で最終的な例として出てくるのは「問題解決のためにこういった感じの企画をやりましょう」という提案資料であって、「問題に対してこの企画をやりましょう」という、いわゆる企画書ではないからだ。

今回記事の提案書が通って初めて、「じゃあ、各アクションプランに沿って、具体的に何をやるか?」という企画書が必要になるはずだから。確かに、そもそも「企画を何かやりましょう」ということを企画するところからスタートすることが必要な状況はあるし、「企画する」ことと「企画することを企画する」こととは分けて考えた方が理に適ってる気もする。いや、深読みしすぎか。連載全体の目次ページでは特に「企画書」と「企画提案書」を分けているようにも見えないし。

にしても興味深いのは、深く考えてのことか知らないが、この連載目次ページの部分で

企画魂に燃える若手Web担当者に贈る

と書かれている点だ。
内容が基本的なことで初心者を念頭においているからだろうけれど、経験的にみて(年齢はともかく)若手Web担当者の方が、企画することやそれを通すことに対する熱心さを持った人が多いように感じる。逆に若手でなくなってくるとそれより通った後のことやリリース後のことに対する熱意や関心の比重が大きくなってくる気がする。まあ、webに限らないかもしれないけど。

ちなみに、上記は「自社が運営主体のサイトを担当している人」「受託だが、企画提案などもすることになっている人」を念頭においている。何をやるかクライアント側で決めている受託案件が主な人や会社では、そもそも上記記事のような企画書や企画資料を書く局面はほとんどない。

ともあれ、こうした「企画書の書き方」的な企画は、それ自体はよい企画だ。ダメな企画だったらこうまで何度も似たような企画が様々な媒体で出てくるはずもないし。ただ、これは「出発地点としては」よい企画というだけであって、実際に掲載される内容や見せ方によって「着地点がダメだった企画」へと変貌する可能性がある。今後も有用な情報を掲載して、連載を通して全体として「よい企画」になるといいなあ。
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