泥臭いWEBの底から~WEBディレクター覚書~

WEBディレクターというのは何を考えておるのか。その一例。

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前回の記事で、自分が疑っていたのは

「直感的であること」ではなく、往々にして「直感的であるとされているもの」の方だった

と書いた。「直感的であるとされているもの」には、さらに疑わしい点がある。

多様なのだ。「何が直感的か」は人によって異なるし、テストや実験によって最大公約数を導いたとしても、それをどう具体化するかは非常に多用だ。

そもそもインターフェースとは、体系内(一つのサイトや製品)で考え方に一貫性を持っていた方が望ましい。その点では言語に似ている。英語は英語という体系内においてそれなりに一貫性を持っているし、日本語だって同様だ。言語は「文法」と「語彙」というインターフェースを持っているといえるかもしれない。

この言語のインターフェースは基づいている考え方の体系にそこそこ一貫性があるから、ある言語が分かれば、(その言語による)初めて見る文章でも理解できるんじゃないだろうか。翻訳の文章が読みづらいというケースも、元の文章が「違う考え方の体系」に基づいたインターフェースで構成されているからかもしれない。
さらに言えば、同じ事柄を言語で表現するのでも、考え方の体系ごとに違った表現となるだろう。

話を戻すと、私は「何が直感的か?」という答えを具体的なサイトなり製品なりに落としこむとき、それは設計者の考え方によって言語以上に多様化するんじゃないか、という疑いを持っている。「同じ事柄を表現するのでも、考え方の体系ごとに違った表現となるだろう」というわけだ。

これを推し進めると、同じ「直感的であること」を目指していても、製品やサイトごとに大きく違った実装がなされることになる。想像して欲しい。「直感的に運転できること」を目指した結果、車種やメーカーごとに自動車のインターフェースが全く違ったら、と。免許を持っていればどんな時代やメーカの自動車でもさして戸惑わずに基本的な運転操作ができるのは、なにも自動車のインターフェースがこの上なく直感的に作られているからではない。標準化された規格で統一されているからだ。

また、「直感的である」とされているものの語られ方にも納得できない点がある。そうしたインターフェースは「子供や全くの初心者」でもすぐ扱えるようになったということを、まるで「既存のありがちなインターフェースより優れている点」であるかのように書く。しかし、実際にそうしたインターフェースを使うのは、その製品なりサイトなりを使うにあたって「経験と学習によって何らかの先入観を持っている」人間がほとんどだ。だから、「子供や全くの初心者」に直感的だからといって、メインユーザである「経験と学習によって何らかの先入観を持っている」人間にとっても直感的なインターフェースである保障にはならない。「既存のありがちなインターフェースより優れている」とは言えないのだ。

もちろん、ここまでの話は分かりやすいように極端な書き方をしている。実際の現場で、たいていのインターフェース設計者は「経験と学習をしている」ことを踏まえたうえでの分かりやすさを目指しているはずだ。意識しているにせよ、していないにせよ。だから、自分の中でなにか心配や気がかりがあるわけではない。ただただ疑わしいのだ。

それとiPhoneやiPod touchのインターフェースがダメだ、と言うつもりもない。前の記事の冒頭にも書いたけれど、使い方を理解してしまえば、あれは非常に魅力的だ。

もし私がサイトのインターフェースをiPhoneやiPod touchに代表される類の「直感的な」ものにすることがあるなら、それはそうしたインターフェースが充分に普及したときくらいだろう。それともちろん、クライアントがそれを望んだとき。

昨日今日と、実際のディレクションには何ら役立たないことを長々と書いてしまった。普段から「お役立ちTips」みたいなものは書かない方だけれど、今回は特に実際的でない度合いが大きい。「で、なに?」とか言われたらそれまでの話だもんなあ。まあ、いいんだけど。いいんだけど、何だろう、この気恥ずかしさは。
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