泥臭いWEBの底から~WEBディレクター覚書~

WEBディレクターというのは何を考えておるのか。その一例。

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とあるサイトの立ち上げに向けて、昨日まで通常の2倍の速度で働いていた。今日からやっと通常営業モードに。

通常の2倍の「量」じゃないところがポイント。必要な画像やテキストを手配してもらったら、あとはサイト設計もデザインもコーディングも、もろもろ全部一人でやった。その完成速度を上げるために2倍の「速度」で働いたわけだ。まずまずのページ数だが動的にどうこうするものでもなく、どんどん作った。全体の4分の3くらいは自分で作った。残りの4分の1(MTのカスタマイズとか)は諸事情で他の人に手伝ってもらった。今後、コンテンツが増えても柔軟に対応できる器ができたと自負している。

とまあ、「オレこんなにがんばったんだゼ」的な話がしたいわけではない。

ディレクターになってから(実際にはそのしばらく前から)、今の常駐先に来るまで自分で手を動かして何かを作る仕事はほぼなくなっていた。そこで今回わりと気張ってあれこれ実装することにしたとき、サイト制作の敷居の低下に驚き、助けられることになった。

つまり何年か前、自分が制作を主としていたころにくらべ、圧倒的にフリーのツールやら素材やらジェネレータやらが増えていたのだ。phpだって、「確かこんなことができたはず」と思って検索すると、簡単にサンプルが見つかった。自分でPHPを実装した経験が皆無に等しい身でも、特に問題なく導入できた。他にも、判らないことは調べればたいてい誰かが解説しているし、フォトショップのブラシやらなんやらもすぐに見つかる。もちろん、どれもこれも100%そのままで使えたというわけではなかったし、「道具に使われている」ほど頼ったわけではない。だが、補助的に使うのであっても、今の環境は前に自分が制作をしていたころに比べると、あまりにも便利だ。

私だってそういう事態になっていることは知っていたし、これが「いまさら携帯電話を知り、その便利さに感心している」という類の話だということは判る。しかし、本腰を入れてそうしたツールや情報を活用する身になって、あらためてその凄さが実感できた。

とまあ、ここまでが前フリ。出だしの自慢話は前フリの前フリである。今日も前フリが順調に長い。以下本論。webディレクター的な立場から悲観的に考えてみる。

こうしたweb制作を助けてくれる諸々について、現状ではweb制作者以外での認知度は低い。しかし、これくらいの情報なら時間と共にそれ以外の人へも認知されていくだろう。今後も発展してく類のモノだろうし。
となると、だ。中途半端に知っているクライアントなどから、「これってあれとかこれとか、無料でも作れるんでしょ…(だからもうちょっと値引いてよ)。そちらもああいうのって使われるんですかね?アハハッ」といったような話が出てくるようになるのかもしれない。

そこで「提案力を」「技術力を」「デザイン力を」といった「質」についての頭に花畑が広がったような寝言は言いたくない。今でもたいがいの「お金をもらって作成される」サイトやページは差別化の要素になるくらいの技術やデザインや提案力を必要としない。ほどほどのクオリティをほどほどの予算でちゃんと作ることを求められる機会の方が多い。そもそも、ほどほどの制作しか出来ないくらいの予算しかクライアントも出せなかったりする。
web黎明期に比べて様々な単価が下がり、その一方で新たな技術や手法が出てきて収入の主因が異動するという推移はこれまでにもあったわけだが、どうなんだろう?そうした推移は今後も続くんだろうか?

そりゃ予算以上のクオリティが出せれば出せるほどよいだろう。毎回、もらったお金なりの仕事しかしないというのは先細りになるし、ヤル気も出ないし。しかし、毎度それでは個人でもない限りそうそう採算が取れない。非常に有能な制作チームが素晴らしいサイトやサービスを作るのは素晴らしいことだ。しかし、それは数が少ないからこそ素晴らしいというのは当然のことだ。それ以外の人々はそこまで素晴らしくないし、だからといって飢えて死ぬわけにもいかない。

そうなると「ほどほど~」なサイトやサービス、ページを主な収入源とすることになるわけだが、そこが値を下げざるを得なくなる口実の一つとして前記の「あまりにも便利な諸々」が利用されることになったら、実に悲しいことである。仮に実際、それで制作コストが多少の値下げを受け入れられる程度に下がったとしても、どこかで標準的な価格が損益分岐点をうっかり下回らないだろうか?今でさえ、ディレクターに限らずweb制作において見積りと予算を管理する立場の人間はシビアな価格調整で頭が痛いというのに。競争力のない者が淘汰されるのはある程度しかたのないことだが、過当競争による必要以上の淘汰では全体が疲弊してしまう。それに、競争力が高いものほど数は少ないわけで、ほとんどの人や組織の競争力は自分も含めてそこまで競争力が高くない。だからといって座して死にたくはない。

たぶん歴史の長い製造業では多かれ少なかれこうした変動を何度か乗り越えているはずなので、何か参考になることもあるのだろう。だが、悲しいかな自分にはそうした情報が今のところ見付けられていない。

こうしたことすべてが、当面は確実に杞憂だろう。いつまで経とうが杞憂であって欲しい。
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